ヴィッパサナー瞑想のおさらい~目的をつくらない


 

瞑想で目的をつくらない

 

 

瞑想実践会 in 由宇

 

昨年11月に瞑想実践会が山口県ふれあいパーク(由宇青少年自然の家)でおこなわれました。

 

毎年、ここへ行くたびに、よくこんな山の上にこんな施設つくったよな~と思うのですが、今年もやっぱりそう思ったのでした(^◇^;)

 

しかし、ここでの瞑想実践会も4回目にもなりますと、勝手知ったる第二の我が家みたいな感じで(おおげさ)、皆さんけっこう自由に瞑想にはげまれたようなのが何よりでした。

 

とはいえあまりの遅さに「(*゚Д゚*) 今ごろか~い」とつっこまれそうですが、今回からしばらくは瞑想実践会でのスマナサーラ長老の法話を編集して書いて行こうと思います(-ω-`*)




 

 

目的=概念=妄想

 

 

わたしたちが日常生活を送るうえで、さまざまなストレスを感じたり、いろいろな間違いをしたりしますが、これは瞑想をきちんと理解して実践していけば直すことができます。

 

具体的にどういうことかというと、例えば、わたしたちは「立つ瞑想」・「立ち禅」と聞いたとたん、「じゃあ、立たなくちゃ!」と目的をつくってしまいがちです。

 

 

そして、わたしたちは目的が現れた途端、いかに早く目的に達するかということだけを考え、行動してしまいます。

だからそこであせるのです。

その結果、瞑想ができないということになってしまいます。

「立つこと」が目的になっているからです。

 

「立つこと」が目的なのではなく「立つこと」が瞑想です。

 

「立つこと」とひとつの単語でまとめて言っていますが、これはものすごい数の行為で、できあがっているものなのです。

ですから(「立つ」という状態に至るまでの)ひとつひとつの行為は単独行為なのです。

ひとつの行為は、次の行為につながっていくだけのものです。

 

「今はこの行為」、「次はこの行為」、「次はこの行為」というように一つ一つの行為を確認し、実況していかなくてはならなのです。

 

目的はないのです。

 

「立つ瞑想」と聞いたら「立つ」という目的は無くさなくてはならないのです。

 

「立つ瞑想」と聞いて「立つ」という目的をつくったということは、「立つ」という概念をもったということです。

「概念」というのは「妄想」ということと同じです。

 

「立つ」という概念で「立った状態」を妄想し、時間的に言えば【将来】に向かって突っ走ってしまうから間違えてしまうのです。

 

そうではなく「座っていること」から「立つこと」までの一つ一つの今この瞬間の行為を確認し実況する、それが【ヴィパッサナー】です。

 

わたしたち俗世間の生き方というのは「頭をなぐられたいのしし」みたいに突っ走るだけの人生です。

何をしているのかさっぱりわかっていないのです。

 

だから、すぐに(原始脳の)指令で動いてしまうという大きな間違いを犯してしまうのです。

 

わたしたちは目的をつくり、計画らしきものをたてると、そこに向かって突っ走ってしまいますが、一つ一つの行為ですべてが成り立っているということは全く理解できていません。

一つの行為は、今この瞬間にしかできないものです。

複数の行為を、同じ場所で同時にはできないのです。

 

「立つ瞑想」と聞いて「立たなくちゃ」と目的をつくって、その間の行為をすべて無視して「立った」と言いたがっているだけでは、まったく瞑想ではないのです。

 

「立つこと」という概念ではなく、「無数の流れの行為」であるということを実況してみてください。

そこは難しいかもしれませんが、間違っても何度もやり直してがんばってみてください。

 

そして「立つ」ということひとつとってみても、「立つ」というのは、一かたまりの概念ではなく「ずーっと流れているものである」ということを瞑想で発見してほしい『智慧』の一つなのです。

 

今後「立つ瞑想」と聞いたら

 

「立つ瞑想」という言葉は俗世間の言葉ということを理解しましょう。

仏陀の世界にはそのような言葉はないのです。

 

ですから「立つ瞑想」と聞いても、それは一旦わきに置いておいて、すべては一つ一つの行為で成りたっているということを思い出しましょう。

 

「手を伸ばす、伸ばす」・「(体を)起こす、起こす」「(右足を)立てる、立てる」(できるだけ名詞は使わない)

もし、あてはまる言葉が思いつかなかったとしたら「こうする」でもいいんです!

 

そういう一連の行為の流れで「立つ」ということは成りたっているのに、それを無視すれば真理を発見するということにはならないのです。

ただ、あせっただけということで終わってしまいます。

 

わたしたちがストレスを感じる理由

 

わたしたちがストレスを感じるのは概念で目的をつくって、そこに至る過程をすべて無視して、頭を殴られたイノシシみたいに突っ走ってしまうからなのです。

一つ一つの行為を見てみると、まったく大したことはしていないのです。

しかし、わたしたちはいつもストレスを溜めて、疲れています。

なぜかというと立つ瞑想のところでも説明したように、妄想概念で生きているために、目的ばかりをつくって、そこに至る行為を全く無視しているからです。

 

しかし、俗世間では、なかなかそういったことを直すことができません。

ですから、瞑想会などで修行する必要がでてくるのです。

 

今日はここまで。

みなさまが幸せでありますように( ゚▽゚)/

関連記事:ヴィパッサナー瞑想:立つ瞑想のやりかたと注意点









記事一覧はこちら→「心を洗う」


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