エゴとの最終決戦が始まる
『執着は捨ててなんぼ:許すこと、それは自分との闘い~私とエゴのガチバトル』から続きます。
さて、前回エゴは執着を捨てるなとたくみに誘ってきましたが、私は執着を捨てさったのでした。
・・・と、かっこよく書きましたものの(^◇^;)
執着を捨てるとしばらくあいだ心のバランスが崩れる。
じっさいのところ、やはり今まで自分の心の支えだったものをごっそり捨てるわけですから、しばらくの間こころがとても不安定になってしまいました。
何を目的にがんばったらよいかわからないので、気がぬけたような状態になってしまったのです。
やたらと涙もろくなってしまったり、落ちこみからなかなか抜け出せなくて、何もやる気が出なくなってしまったりしたのです。
「あきらめるけど、ぜったいに(今の生き方は)投げ出さないぞ」
この言葉をずっと自分に言いきかせて心のバランスをなんとかとろうとしていたのでした。
自分をほめる
それから、私は自分を褒めることにしました。
今まで、空回りしてきたとはいえ、自分の人生の問題と正面から向きあって取り組んできたのです。
たとえ自分が愚かさのために、いろんな辛いことが起きたのだとしても、わたしはそこから逃げずに正々堂々がんばった自分を素直にすごいと思えたのです。
まだ、どうやったら人生の暗闇から抜け出せるのか全くわからなかったけれど、これからも自分は逃げずに人生と向き合うのだろうなと思いました。
だから私は自分を何度も褒めたのです。
「ねえ、私、執着のせいで空回りしちゃったけどさ、自分で言うのもなんだけど、あなたはものすごくがんばったよ。」
「あなたは卑怯なことをしたり、相手をおとしめるようなことは絶対にしなかった。」
「正しい方法で乗り越えようと、ひたすら努力してきたし。」
「ねえ、私、だから私あなたを誇りに思う。」
「だから、もう泣くな、私。」
ついに許す!
ところが、こころからゴッソリと今まで支えだったものが無くなってしまい、こころのバランスがくずれると、許せない相手にたいする怒りや憎しみが、またもや強まっていくのが感じられました。
これには私もかなり動揺しました。
この5年間、怒りを乗り越えるためにものすごくがんばってきたつもりだったのに、私のこころにはまだ恐ろしいほどの激しい怒りが渦まいていたのです。
おそらく、今まではじぶんの目標や願望(執着付き)を達成するほうにこころのエネルギーを使っていたものが、そこがゼロになってしまったために、そのぶんのエネルギーも相手への怒りのほうへと向かっていったと思われます。
「わたし、あんなに頑張ってきたのに、まだこんなに心がきたないのか・・・」
自分のこころをみつめながら、わたしは激しいむなしさを感じていました。
さて、時はながれて、昨年12月のクリスマスが過ぎたあたりで、私は実家の犬を連れて夕方の散歩をしていました。
そのときふいにものすごい怒りの感情がわきあがってくるのが感じられました。
止めようにも、どうしても止まらない、そんな激しい怒りと憎しみ。
エゴが
「憎め!憎め!今まであいつにされたことを思い出せ。
あいつはお前の親切を全部うらぎって、さらにひどいことまでしてきた。
許すな!ぜったいに許すな!憎み続けろ!」
と頭の中で言い続ける。
怒りの炎でこころが痛い。熱い。
なのに、怒りの炎はどんどん強まっていく。
あんなに瞑想をがんばってきたのに、わたしはまだ自分の怒りをコントロールできてない!
苦しい!怒りでこころがすごく苦しい!なのに怒りと憎しみが止まらない!
そのとき、ふいにあたまの中に「明日、自分が死んだらどうなる?」という思いがよぎったのです。
その「死」ということばが私を現実にひきもどしました。
明日どころか、次の瞬間に死なない保証はどこにもないのです。
もし、このはげしい怒りの感情をかかえたまま、死ぬことになったら自分はどうなるんだろうと考えたのです。
※仏教では死ぬ瞬間のこころの状態をひじょうに重要視します。
死ぬ瞬間のこころが、次にいくところを決めるので死ぬときはできるだけ心をきれいにしておいたほうがいいと教えています。
『悪夢にはご用心』に少し書いているので参考にしてください。
せっかく5年もがんばってきたのに、こんなにはげしい怒りのこころを抱えたまま死にたくない・・・。
わたしはまだ何も成しとげていない。
もし、明日死んでしまったら、わたしの5年の努力は全部むだになってしまう。
そんなのいやだ。
どうせ死ぬなら、優しいこころを取りもどしてから死にたい。
だから許す!
いま、ここで許す!
そしてエゴとの壮絶バトルが開始される
許すという私の決意に対して、エゴの恐ろしいほどの反撃がはじまりました。
今までに相手にされたしうち、そのときのつらい気持ち、それに関連したつらい出来事、すべてを総動員してきて許させまいとするのです。
「許すな!あいつに何をされたか思い出せ!絶対に許すな!あいつを許したら負けたことになるんだぞ!それでもいいのか?負けるのが悔しくないのか?」
あたまのなかで色んな思いが交差する。
様々な情景が浮かんでくる。
「それでも、わたしは許す!」
わたしはエゴにそう言い放つ。
するとあたまの中に不思議な光景があらわれた
そのとたん自分の目の前にちいさな部屋のイメージがあらわれたのです。
とても小さな部屋でベッドがひとつあって、壁にはおおきな暖炉があり、そこでは火がとてもはげしく燃えています。
わたしは直感的に「ここから脱出しなくてはならない」と思いました。
しかし出口はないのです。
ドアも窓もありません。
では、どこから脱出すればいい?
答え: 暖炉の火の中
わたしはみずからの怒りの炎の中にとびこんで、エゴに閉じ込められていた小さな部屋から脱出したのでした。
そして我に返る
ふと我に返ると、わたしは犬の散歩の途中だったのでした。
犬がわたしを「どうしたの?」というような目で見上げていました。
「ごめんね。さあ帰ろうね。」
そうして、また散歩をしながら色々考えていました。
あれはきっとわたしのエゴがつくりあげた「怒りの部屋」なんだ。
あんなせまい部屋にこころが閉じ込められていたから苦しかったんだ。
そこから脱出できたということは、きっと「許せた」ということにちがいない。
あとはもうあの部屋に連れ戻されないように、こころを注意ぶかく監視すればいいはずだ。
エゴがまた怒りを思い出させようとしたら、わたしはすぐに気づけるだろう。
もう、ぜったいにあんな苦しい思いはしたくない。
わたしはぜったいにあそこには戻らない。
そう決意しながら私は家路につき、エゴとのバトルを終わらせたのでした。
追記
ここまで色々書いてきて、改めて当時を振り返ってみると「これだけがんばりゃ、そりゃ神様だって年賀状のひとつもくれるわ!」と思ったのでした(笑)
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