秋吉台カルスト台地
お気に入りの場所
私の住んでいるところは、今のところ自宅待機要請は出ていないので、休みの日に「秋吉台」に行ってきた。
秋吉台は家から車で2時間弱のところにある、わたしのお気に入りの場所だ。
ここは国定公園なので、遊歩道が整備されていてとても歩きやすく『歩く瞑想』も兼ねて、よく歩きに行く。
秋吉台はふしぎな場所だ。
曇りや雨の日の秋吉台はまるで「この世の終わり」のように陰鬱で、見る者をとても暗い気持ちにさせる。
しかし、一筋でも雲間から光が差し込むと、その表情を一変させるのだ。
明るくて穏やかで静かで、地表に頭を出している無数の石灰石が白く輝く。
そういう劇的な変化を見るたびに、わたしは毎回感動する。
この世界がもっている力強さや穏やかさや調和を垣間見る瞬間だだからだ。
秋吉台は独立した一つの小さな世界だ。
その穏やかで優しい世界の中を一人黙々と歩きながら、わたしは安らぎに包まれる。
出発
その日は午前中はどんよりとした曇りで、午後から晴れてくるという予想だった。
秋吉台は内陸にあるので、海沿いの地域より少し天気が回復するのが遅くなる。
午後に着くくらいに家を出ようかとも思ったが、やはり早めに行くことにした。
なんとなく着いたら晴れる予感があった。
家を9時すぎくらいに出る。
ドライブ中に聴く曲はもちろん「King Gnu」だ。
「King Gnu」のボーカルの井口さんの声域はおそろしく広い。
よく伸びて張りのある声の中に少しかすれが混じり、それがさらに艶と色気を感じさせる。
井口さんの声があるからこそ常田さんのあの力強い声が際立つのだ。
歌のうまい人は本当にいくらでもいる。
しかし心に響くほどの歌声となるとものすごくわずかだ。
井口さんが歌っているのを聴いていると、どんよりと曇った秋吉台に雲間から光が差し込んだときに感じる心の震えと似た震えを感じることがある。
昔のなつかしい何かを思い出しそうになって、ふっと涙が出そうになるようなそんな感覚だ。
そんなことをぼんやりと考えながら運転していると井口さんのあまりの歌のうまさに、やはり前世は本当に宇宙人だったのかもという思いが頭をよぎる。
井口さんが以前ラジオで言われていたのだが、霊能者の人から前世は「オリオン星人」だったと言われたのだそうだ。
「オリオン星人」というあまりにも大雑把なネーミングのためにその信憑性がいちじるしく下がってしまうのだが、実は仏典でも宇宙には太陽系とよく似たところがいくつもあり、そこには生命もいるということが記されているらしい。
仏教的見地からしたら井口さんが前世で「オリオン星人」だったとしてもまったく不思議ではないことのようだ。
しかし、なにもこんな争いごとの多い星に転生してこなくてもよさそうなものだが、きっと前世の井口さんは大勢の人の前でのびのびと歌を歌ってみたいとそう思われたのだろう。
到着
予感は当たり、秋吉台に着いたころから雲間に青空がのぞきだした。
さらには『長者ヶ森駐車場』に車を停めると、太陽が雲間から顔を出した。
「よく来た」と歓迎されているようで、とてもうれしくなる。
お天気の神様にお礼を言って、リュックを背負い歩き始めると前方の空がどんどん晴れわたっていき、青空が広がっていく。
まるで、わたしが青空が好きなのを知っているかのようだ。
1時間もしないうちに、空には雲一つなくなり、空はひたすら青く太陽は明るく輝き、完璧な世界が姿を現した。
世界が優しさに包まれていて、わたしは嬉しくて少し泣きそうになりながら歩く。
この小さな世界は、こんなにも平和で穏やかで優しさに満ちているにもかかわらず、現実の世界はコロナウイルスの脅威にさらされて、世界中が息をひそめて生活しているのだ。
同じ次元で起きていることとはどうしても思えなかった。
頭では理解していても、心がついていかないのだ。
『風の谷のナウシカ』の原作の6巻で、人間が造り出したマスクもきかない猛毒の瘴気を吐き出す粘菌によって、世界が壊滅しそうになったとき、ナウシカが空を見上げながら言ったセリフを思い出す。
「こんなに世界は美しいのに
こんなに世界は輝いているのに・・・」
昔ナウシカの原作を読んだとき、まさか人類全体が外を歩くときにナウシカの世界のようにマスクをつけなければならなくなる日が来ようとは思ってもみなかった。
本当にこの世界では何が起きてもおかしくないのだ。
バランス
仏教では、この世界のすべてが「地・水・火・風」の四つの要素で成り立っているとしている。
そして自然すべてが循環しながら、そのバランスを保っているのだ。
にもかかわらず、人間は欲の思考でそのバランスを崩す。
自然は崩されたバランスをもとに戻そうとする。
そして「地・水・火・風」によって、さまざまな事象が現れてくる。
おそらくコロナウイルスもその一つなのだ。
たとえ今回コロナウイルスが消滅した後も、おそらく人間は欲の思考で自然のバランスを崩し続けるのだろう。
そして、バランスをとりもどすために更にさまざまな事象が現れてくる。
そして、その都度人間は智慧をつかわずに、今回のように行き当たりばったりの対策を取り続けるのだろう。
考えただけで虚しくなる。
本当はもうわたしはあちらの世界には戻りたくはないのだ。
この小さくとも優しく穏やかで静かな世界で、あちら側を眺めているだけにしたいのだ。
でも、人は一人では生きていけないらしいから、しぶしぶ駐車場へ引き返す。
そしてこの小さくて完璧な世界にお別れを告げてから車に乗って家へ帰るのだ。
みなさまが幸せでありますように