【痛み】に感謝は必要なのか?


 

いまだに時々考える

 

人が苦しんでいるときに難題をふってきた母

 

高校時代から、いまだに私を悩ませる問題があります。

 

それは「痛みに感謝する」ということ。




 

これはどういうことかと申しますと、私が高校生の時に、生理痛がひどくて薬もきかず、夜も眠れずに苦しんだときがあったのです。

 

そのときうちの母が

「その痛みに感謝しなさい。そうすれば痛みも治まるから」と言ったのです。

 

「(#゚Д゚) はぁ~?この痛みに感謝~?」

 

前回の【痛み】に【怒り】をくっつけないと楽にやりすごせるで書きましたように、【痛み】は【痛み】として観察することで、【怒り】の感情をそこに入れないと【痛み】を楽にやりすごせます。

 

しかし、もちろんこの頃はそのような知識はありませんでしたから、激しい【痛み】に対して「なんで私がこんな目に~」という激しい【憤り】【怒り】がさらに私を苦しめていたのでした。

 

そういう、ただでさえ激しい腹痛で【怒り】の感情がたかぶっているときに「痛みに感謝しなさい」というような無理難題を押しつけられると、人はさらに怒りを増してしまうものではないでしょうか?

 

実際わたしはそうでした。

 

「(#゚Д゚) この痛みに感謝ぁ~?そんなことできるか~っ!」

 

怒りはピークに達し、激しい腹痛とやり場のない怒りMAXで非常に苦しんだことも今となってはいい思い出です(^◇^;)

 

 

なんでも【感謝】すればいいのか?

 

しかし、うちの母はなぜそのような無理難題を言ってきたのでしょうか?

 

私の痛みを心配し、少しでも楽にしようと思って言ってくれたのはまちがいないのですが、怒りが増えるばかりで逆効果でしかありませんでした。

 

じつはうちの母はとある新興宗教を信仰しているのですが、どうやらそこで「起こることすべてに感謝しなさい」と教えられ、わけもわからないまま私に「感謝しなさい」と言ってきたのだと思われます。

 

関連記事: 私の人生を変えた一冊

 

わたしも今なら「起こることすべてに感謝」というのはよく理解できます。

 

しかし「起こることすべてに感謝する」というのと「痛みに対して感謝する」というのは同列に扱っていいものなのでしょうか?

 

例えばAさんというかたが癌になってしまったとします。

自分が癌になってみて、どれほど自分が自分の体をないがしろにして生きてきたかがわかり、そのうえ周りの人々にどれほど支えられて生きてきたかを理解したとき「癌にならなければ自分がどれほどわがままで、恩知らずな人間だったかわからなかった。今は癌になったことを感謝しています。」ということはありえます。

 

しかしAさんは癌の激しい痛みにも感謝できるものでしょうか?

わたしはそれは無理なんじゃないかと思うのです。

 

 

とはいえ、人間のできた人なら可能なのかも?

 

しかし、私が勝手にできるわけがないと思っているだけで『実際に心から痛みに感謝することで、痛みが消えていきました』というようなひとも存在するのかもしれません。

何とも言えないので、だからよけいに気になります。

それで、いまだに「そんな人、いるんかな~?」と考えてしまうわけです。

 

ちなみに、わたしはそのとき激しい痛みをなんとかしたいと思い、怒りがおさまったあと、しばらく「ありがとうございます」と言いながら感謝しようと努力しましたが、無駄であったことをご報告しておきます。

 

やはり【痛み】に対しては【感謝】ではなく【観察】するほうが、痛みを楽にやりすごせると断言できます。

これは私が実際にためして実に効果があるので本当におススメです。

 

わたしはこのときの経験から生半可な知識はときに人を更に苦しめかねないということを学んだのでございました( ノД`)

 

関連記事:【痛み】に【怒り】をくっつけないと楽にやりすごせる









記事一覧はこちら→「心を洗う」

 


スポンサードリンク

コメントを残す

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください