慈悲の心の大切さを瞑想会で学ぶ


慈しみの心は実はものすごいパワーを持っている

 

仏教では殺生は戒律で禁止されている

 

誓教寺の瞑想会の最後にヤサ長老との質疑応答の時間がありました。

その時、参加者の男性がこのような質問をされました。





[speech_bubble type=”ln” subtype=”L1″ icon=”1.jpg” name=”参加者A男さん”] ヤサ先生、うちにねずみがものすごく出るんです。[/speech_bubble]

[speech_bubble type=”ln” subtype=”R1″ icon=”yasacyourou.png” name=”ヤサ長老”] はい[/speech_bubble]

[speech_bubble type=”ln” subtype=”L1″ icon=”1.jpg” name=”参加者A男さん”] それで、ねずみとりを何個もしかけているんです。[/speech_bubble]

[speech_bubble type=”ln” subtype=”R1″ icon=”yasacyourou.png” name=”ヤサ長老”] はい・・・[/speech_bubble]

[speech_bubble type=”ln” subtype=”L1″ icon=”1.jpg” name=”参加者A男さん”] 仏教では殺生はよくないとされているのは解っているのですがね。[/speech_bubble]

[speech_bubble type=”ln” subtype=”R1″ icon=”yasacyourou.png” name=”ヤサ長老”] はい、はい[/speech_bubble]

[speech_bubble type=”ln” subtype=”L1″ icon=”1.jpg” name=”参加者A男さん”] ネズミ取りにかかるのは、ねずみが勝手にかかるのだから、私が殺したことにはならないと思うんですが、いかかでしょうか?[/speech_bubble]

 

そんなんダメに決まっとるやんか~~~!

ずる

 

 

 

 

 

 

 

 

例えばですよ、私達の知らない間にトラップをいくつも仕掛けらていて、それに引っかかったのはあなたの責任だから死になさいと言われてあなたは納得できますか?

 

自分がされて納得できないものを、どうして他の動物にするのは許されると思うのでしょうか?

 

仏教では五戒という守るべき戒律がありまして、その一番初めに「殺すなかれ」という戒律があるんです。

 

その方もそのことを学んでおられるはずなんです。

 

それにもかかわらず、人は都合のよい解釈で生き物を殺すことを正当化しようとするもんなんですね~。

 

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ヤサ長老はすぐには「ダメです」とは言われませんでした。

おそらくどのように言えば、その方が納得されるか考えておられたのでしょう。

 

慈しみの力のすごさの体験談

 

そこへ参加者の女性が自分の体験談を話されはじめました。

[speech_bubble type=”ln” subtype=”L1″ icon=”1.jpg” name=”参加者B子さん”] うちもネズミが出ていたけど、慈悲の瞑想を一生懸命して、ネズミたちに家から出ていってくれるようにお願いしたらいなくなりましたよ[/speech_bubble]

 

実は同じようなことがうちでもあったのです。

うちの実家にもねずみが何匹も住み着いて両親も困っていました。

 

両親は私が仏教を学びだしてから生き物を殺すことを良くないと思っていることを知っておりましたので、ネズミ取りにかかったネズミを母は遠くに逃がしてやったそうです。

 

その後、父が「もうここへ出て来るなよ」と家にいるネズミに向かって言い渡すと、不思議なことにそれから他のネズミもいなくなったそうです。

 

[speech_bubble type=”ln” subtype=”R1″ icon=”yasacyourou.png” name=”ヤサ長老”] 不思議なことにそのような体験談は多数報告されています。[/speech_bubble]

[speech_bubble type=”ln” subtype=”R1″ icon=”yasacyourou.png” name=”ヤサ長老”] 慈悲の瞑想をしていたら、ネズミがいなくなった、シロアリがいなくなった、ゴキブリがでなくなったというような報告があります。[/speech_bubble]

 

怒りの感情で接すると相手も怒りの感情で接してくる

 

私の体験談ばかりで恐縮ですが、他にもこんなことがありました。

 

私は山によく登るのですが、暖かくなってくると虫が多くなります。

顔にぶんぶんと寄ってくる虫を私は手でふわりふわりと払いながら「悪いけどあっちに行ってね~」と念じるようにしています。

 

昨年、友人と山に登って休憩した時のことです。

小雨が降ったりやんだりで湿度が高かったせいもあるのでしょうが、いつもより寄ってくる虫が多く感じられました。

 

そしていつものように、寄ってくる虫をふわりふわりと払いのけながらお湯を沸かしコーヒーを淹れて、暫く休憩していました。

 

友人は休憩しながら執拗に虫を手でバンバンと叩き殺そうとしていました。

まあ、普通ならこういう反応をしてしまいますよね。

 

そうして、休憩を終えて下山しようとしたら、友人が「ブトに顔を刺された」と言い出しました。

驚いて友人の顔をみると、なんと3か所も刺されていたのです!

 

私は全く刺されなかったにも関わらずです。

特に虫よけの薬も塗っていませんでした。

 

友人と私の違いは殺意があったかなかったかということです。

相手を殺してやろうとすれば、相手もこちらに敵意むき出しで襲ってくるのです。

 

この体験から慈しみの心は自分を守ってくれるということが解ったのでした。

 

まとめ

 

[speech_bubble type=”ln” subtype=”R1″ icon=”yasacyourou.png” name=”ヤサ長老”] 食用にされる犬が檻に閉じ込められている動画を観たことがあります。
犬は殺されるのが分っているのでしょう。
ものすごくガタガタとふるえていました。[/speech_bubble]

[speech_bubble type=”ln” subtype=”R1″ icon=”yasacyourou.png” name=”ヤサ長老”] もし自分が同じ立場だったらどうなのかということに思いを巡らせてみてください。
どんな小さな生物も生きていたい、死にたくないと思っているのですから。[/speech_bubble]

 

恐らく私たちが慈悲の心ですべての生命に接したとしたら、この世界は劇的に変化を遂げていくのだろうと思います。

 

ねずみが嫌いだから、蛇が嫌いだから、虫が嫌いだから殺していい訳ではないのです。

 

どうすれば殺さないで、共存できるかを考えたほうがいいのです。

慈しみの心はいつか自分を守ってくれるからです。

 

そうしてみると「風の谷のナウシカ」って今更ながら深い話だったんだ・・・と思ったのでした。

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