承認欲求の恐ろしさ
承認欲求にはきりがない
欲には「食欲」・「性欲」・「睡眠欲」等いろんな種類がありますが、現代人にとって一番やっかいな欲が「承認欲」でしょう。
なにしろ承認欲にはきりがないのです。
一度認められたから、次は認められなくていいということにはまったくならないのですね。
おそらく一度高く評価された方のほうが、自分の評価が下がることに不安を感じ、さらに承認欲求が高くなると思われます。
なぜ芸能人が鬱になったり、悪いクスリに手を出したりするのか以前から不思議に思っていたのですが、おそらくこの承認欲求が強くなりすぎて自分を制御できなくなった結果なのだろうと思います。
現代には承認欲求を満たすための様々なツールがあります。
SNSなんかがまさしくそれにあてはまります。
TwitterやFacebook、インスタグラム等を見ていると、人がどれだけ自分の承認欲を満たしたいと願っているかがよくわかります。
本来TwitterやFacebookはただのツールで便利に使えばいいだけのものなのに、これを承認欲を満たすことに使うととんでもなく心に地獄をつくってしまうことになります。
「自分に価値があると思われたい」
「自分を高く評価してもらいたい」
「自分への評価はどんなのもなのか」
と日々気にしながら生きることへの莫大なストレス。
かく言うわたしもこの承認欲求にずっと苦しんできました。
承認欲求が満たされないことから起こる怒りや強烈な不安感。
当時を思い出しただけでもめまいがしそうです( ノД`)
わたしたちには「生存欲」という「生きていたい、死にたくない」という欲が根底にあるために「承認される」ということが重要なことだと勘違いして生きてしまうのです。
しかもやっかいなことに、この承認欲というのは無いほうが楽に生きられるとわかっていても、そう簡単に捨てられるものではありません。
なぜかというとこの承認欲には「慢」という「無知」の煩悩が裏でべったりと貼りついているからです。
「慢」という煩悩はどういう煩悩かといいますと「自分と他人を測る、比べる」という煩悩なのです。
私達は「自我」がありますが、人と比べないと「自我」を確立できないのです。
比べていないと不安なのです。
ですから、ずーっと人と比べること、測ることを無意識にしています。
「自分はあの人より上である」と感じることが「高慢」
「自分はあの人と同じくらいである」と感じることが「同等慢」
「自分はあの人より劣っている」と感じることが「卑下慢」
そしてこの煩悩は四段階ある「悟り」でも『阿羅漢(あらかん)』という悟りの最終段階までいかないと全部消えることはないとされています。
では悟らないかぎり楽になれないのかというとそうでもありません。
悟らない限り幸せに生きられないなら、この世に住む99.9999・・・%の人が超絶不幸ということになってしまいます。
実は自分の心に気づくだけで、かなり楽に生きれるようになります。
自分の承認欲求に気づく
実はわたしたちは一日の大半を無意識で生きていて、自分に承認欲求があることすら気づいていません。
承認欲求が作りだす様々な妄想から引き起こされる欲や怒りの感情、不安感、焦燥感にさいなまされながら「生まれては死ぬだけの人生」を生きる人がほとんどです。
まずは自分に承認欲求があるということに気づき、さらにはそれがひき起こす様々な感情や妄想に気づくことが大切です。
実は妄想こそが自分にとっての一番の敵なのです。
妄想が妄想を呼び、怒りや欲をかき回し、その怒りや欲の感情にまかせて行動すると人生はどんどん悪いほうへと転がっていきます。
悪いほうへ人生を転がさないためにも、わたしたちがやるべきことは「自分の心を冷静に客観的に観る」ということです。
怒りが湧いてきたら「これは怒りである」と気づくこと。
欲が出てきたら「これは欲である」と気づくこと。
不安感が出てきたら「自分は不安に感じている」と気づくこと。
そしてそれらが引き起こしている妄想に気づいたら「自分は妄想している」と気づくことです。
人生というのは一瞬、一瞬の積み重ねです。
瞬間、瞬間で行った行動や思考の結果として、いまの人生が現れています。
善い人生にしたいと思うなら、妄想や感情に振りまわされず、強い意志と冷静さで、自分の心を客観的に観察しながら生きるということがとても大切なのです。
善行為をして生きる
「承認されなかったら自分の人生は悪くなっていってしまうのではないか」という強烈な不安感を払拭(ふっしょく)する方法の一つとして「善行為をして生きる」ということがあげられます。
「善行為」というと瞬間的に「ボランティア活動」とか「寄付」とかそういったことが頭に浮かばれるかもしれません。
もちろんそういったことができるなら、やられたほうが断然よいのですが、そういった目立ったことでなくても、自分の心を善い方向へ持っていくというのも立派な善行為です。
人はそもそも善い行いをするというようには生まれついていません。
人は「怒り」と「欲」と「無知」の煩悩によって無意識的に生きているだけなのです。
「意識を高くして生きる」というのは、この「怒り」や「欲」や「無知」の煩悩をどれだけ制御して生きるかということです。
そのためには先に挙げたように瞬間、瞬間の自分の心に気づくことこそ、もっとも大切な「善行為」です。
そして次に大切な善行為は「優しい心で思考し行動する」ということです。
「優しい心」とは「人の意見に追従し流される弱い心」のことではありません。
「優しい心」を保つには、自分の欲や怒りを制御するという強い意志が必要なのです。
そういった強い意志をもって「優しい心」で行動すれば、結果も善いものとなります。
心という畑に優しい心で行う「行為」という種をまいておけば、必然的に芽が出てくるのは「善い結果」ということですね。
今の自分に本当に必要なことは何かを知る
人生というのは無意識的に生きていると、あっという間に終わってしまい「後悔ばかりの人生」になってしまいます。
「後悔しない人生」にするためにも、自分に必要なこととは一体何かということを冷静に判断する必要があります。
今の自分の仕事に必要な言語が英語なのにフランス語を勉強しても意味はありません。
趣味で勉強するのならともかく、もし人生で必要ないのであれば勉強に割く時間が無駄になってしまいます。
自分の仕事で必要な資格があるのなら、それを取るためにきちんと勉強してその資格をとる。
クリエイティブな仕事をしているのなら、自分の才能を伸ばすための努力をさらにしてみる。
自分の人生に本当に必要なことをするために、SNSやテレビやゲームなどをする時間を減らしてみる。
特にSNSは自分の承認欲求をかき回してしまう元となるので、必要最低限にとどめたほうがよいでしょう。
まとめ
人生を楽にするために必要なこと
1. 自分の承認欲求に気づくこと
2. 自分の感情や妄想に気づくこと
3. 感情や妄想に振りまわされている自分に気づくこと
4. 優しい心で思考し行動するように心がけること
5. 今の自分にとって本当に必要なことは何かを見つめ直すこと
今の自分をきちんと観察して、今自分がすべきことをきちんとやりとげる。
さらにはそれに優しい心を付け加えてみる。
それを心がけるだけでも人生はかなりスムーズになり楽になります。
人生についてあれこれといらない妄想をして自分を疲弊させるほど無駄なことはありません。
人生はシンプルにすればするほど楽になるし、その結果として物事がうまく運ぶようになってます。
人生には何が起こるかわからないから不安だけれど、逆に何が起きるかわからないからおもしろかったりするのです。
「人生万事塞翁が馬」
「明日は明日の風が吹く」
それくらいのリラックスした気持ちで日々を過ごしましょうね。
みなさまが幸せでありますように( ゚▽゚)/