逃げるなかれ~問題は生じたところで解決するべし


仏陀の教えはやっぱり真理

 

 

Paṭipadā(パティパダー)9月号より

 

 

日本テーラワーダ仏教協会が発行している月刊誌Paṭipadā(パティパダー)9月号に興味深いお話が載っていたのでご紹介したいいと思います。

 

ところで、みなさまにもご経験がある方がいらっしゃるのではないでしょうか?

ある状況から逃げたと思ったのに、また同じような状況に陥るというような経験が。



 

私の場合「あるある!」すぎて、逃げることの恐ろしさが身にしみてわかります。

なぜなら、逃げてもなんの解決にもならないどころか、逃げれば逃げるほど前より過酷な状況となって現れてくるからです。

ひぃ~、なんと恐ろしい!

 

まあ、おかげさまでいろいろ『人生とはなんぞや』ということを学ぶことができました。

何事も経験ということですな。

 

そして、そうした経験をふまえたうえで、今回のPaṭipadā(パティパダー)に載っていたお釈迦様の教えに深く納得したのでした。

 

問題は生じたところで解決する

 

 

さて、お釈迦様がコーサンビーという町に滞在されているときのことです。
マーガンディヤーという女性がお釈迦様を侮辱してやろうとたくらみました。

 

といいますのもこのマーガンディヤーという女性は両親がバラモンという神官の地位にある、位の高い家柄であり、また彼女も大変美しい人だったので、彼女の両親がお釈迦様と結婚させたいと考えたのでした。
(お釈迦様はたいへん容姿に優れた方だったそうです)

 

しかし、お釈迦様にはまったく欲がないので(もちろん怒りもない)、体に対してもまったく執着がありません。

ですので彼女と彼女の両親に「大小便のつまった体に愛欲を感じることはない。そんな体には足にも触れたくない」と返事をされたのでした。

 

ここで注意したいのはお釈迦様はマーガンディヤーを侮辱しようとしてこうおっしゃったのではないということです。

 

私たちの体からは汚れたものしか出てきません。

目ヤニ、耳垢、鼻くそ、唾液、汗、大小便、このようなものしか出てこないのに、わたしたちは自分の体が美しいと思いこんでいて、自分の体にものすごく執着しているのです。

 

だから年をとることが怖いし、年をとりたくないのです。

すべては体への執着から生じているのです。

お釈迦様はそういった執着が全くなくなってしまっていたので、顔や体の美しさなんかはどうでもいいものなのです。

 

「体というのは【糞袋】でしかない」

 

これが真実です。

 

しかしマーガンディヤーは自分の美しさを侮辱したとお釈迦様に恨みを抱き、のちにウデーナ王という王様の妃になったときに、その地位を利用してお釈迦様たちを侮辱しようとしたのでした。

 

それでお釈迦様がコーサンビーという町に滞在されているときいたマーガンディヤーは人々をお金で雇い、お釈迦様と弟子たちにひどい罵声を浴びせたのです。

 

そのひどい罵声にお釈迦様の従者だったアーナンダは耐えきれずお釈迦様に「別の町へ移りましょう」と提案します。

それに対してお釈迦様はこうおっしゃったのです。

 

「アーナンダよ。そのように言うべきではない。問題が生じたときにはそこで解決しなくてはならない。それから、他の場所へ行くべきです。」

 

しかし、ここでお釈迦様はなぜそうなのかということにはふれていらっしゃいません。

おそらく「因果の法則」や「業(カルマ)」などがからんでいるのでしょう。

結局この場合は7日で騒動は終わったようです。

 

お釈迦様は7日で終了したけれど

 

 

お釈迦様の場合は悟りをひらかれて、業が消滅しているので、このような事態が生じても1週間もすれば消えてしまうのでしょうが、私たちの場合はそのようなことにはなりませんね。

 

いわれのない非難や、理不尽な出来事、いじめ、家庭問題、そういったことが起きたとき、わたしたちは動揺しそこから逃げたくなります。

しかし、逃げてもなんの問題の解決にもならないどころか、逃げれば逃げるほど事態はさらに悪化して私たちの前に立ちふさがります。

 

問題が生じたときは逃げずにその場で解決する。

 

人生を少しでも楽にしたいならこの法則を頭に叩き込んでおくべきでしょう。

 

どのように問題を解決するべきか?

 

 

では、どのように問題を解決するべきでしょうか?

 

一番最悪なのは、問題に対して『怒り』や『恨み』で対応することです。

『怒り』や『恨み』で対応すると、それがまた自分にはね返ってくるからです。

 

問題がおきたときにもっとも重要なのは「落ち着いた、冷静な心」です。

できるだけそのような心で問題に対処していく。

そこにできれば「慈しみの気持ち」もプラスできたら最高です。

 

お釈迦様はこうおっしゃっています。

 

「訓練して誹謗に耐える人は人の中で最も優れている」

 

冷静で落ち着いた心、慈しみの心を育てるには訓練が必要なのです。

わたしたちが失敗するのは心を訓練せずにものごとに対処するからということがわかりますね?

要はその時々の感情で対応してしまうから失敗してしまうのです。

 

人生をうまく乗りこなしていくには心の訓練が絶対不可欠です。

心を訓練するのに一番いい方法は『心の観察』です。

『瞑想』です。

 

みなさまのご健闘をお祈りします。

みなさまが幸せでありますように( ゚▽゚)/









記事一覧はこちら→「心を洗う」


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