あきらめるけど投げ出さない生き方


 

あきらめたらそこで試合終了だけど

 

 

それは試合の話で人生の話ではない

 

 

安西先生の名言:「あきらめたらそこで試合終了だよ」

 

 

なにしろ【スラムダンク】ですからね~。

この言葉、日本だけでなく世界中でかなり浸透しているんじゃないでしょうか?



いい言葉ですよね(*゚∀゚*)!

 

もうなにもかも嫌になって投げ出したいな~と思ったときにこの言葉がふっと脳裏を横切ります。

 

「(|| ゚Д゚) いかん、いかん、あきらめたらそこで試合終了なんだ」

 

けっこうこの言葉で我にかえって、持ちなおすことが多いです。

やはり若いころに読んだ漫画の言葉って心に響いてます。

 

しかし、生きているとやはりあきらめなくてはならないことって多々あります。

 

いろんな夢や希望、目標、全部が全部望みどおりにはいかないし、振り返ってみれば、望み通りにいかないのが人生だったりします。

 

スポーツの試合は「勝つ」ことが目標なので、『あきらめないこと』が必須になってくるわけですが、それをそのまま人生におきかえると弊害がでてくることがあります。

 

『強い意志』と『執着』は紙一重

 

 

「絶対に夢を叶える!」「目標達成のためにがんばる!」このような強い意志でものごとに取り組むのはとてもよいことなのですが、ここで注意しなくてはならないのが『執着』です。

 

『執着』というのは「こうなって欲しい」・「きっとこうなる!」から転じて「こうならなければ絶対に嫌だ」・「こうならなければ不幸だ」と感じる心のはたらきです。

 

この『執着』がやっかいなんですね!

 

まず自分自身でこれが執着であると気づけないのですが、自分が『強い意志』と信じている心のはたらきの裏には『執着』がべったりと貼りついていたりします。

 

そして、この『執着』が強ければ強いほど、ものごとがうまくいかなくてあきらめなくてはならないとき、絶望感から自暴自棄になったり無気力になったりします。

 

強い意志だけで結果にこだわらなければ、例えうまくいかなくても、淡々と次にやるべきことをやるだけなのですが、『執着』が強いと次に進むことができなくなり停滞してしまうのです。

そして、それがさらに目標達成から遠のいてしまう原因になってしまうのです。

 

スポーツなんかも勝つことにこだわって、そのために厳しい練習にはげむわけですが、あまりに勝つことにこだわると、それがプレッシャーになっていい結果がでないときがあります。

 

「結果にこだわること」・「結果に執着すること」が強ければつよいほどいい結果から遠のいていくジレンマにみまわれます。

 

がんばったのにあきらめなくてはならない時の注意点

 

 

ものすごくがんばった、これ以上がんばれないほどがんばった、でもあきらめなくてはならないという状況が生きていれば何かと起こります。

 

恋愛のことに関しても、受験のことに関しても、仕事のことに関しても、スポーツのことに関しても全部一緒です。

 

人生にはあきらめなくてはならないことが多々起こるのです。

 

しかし、あきらめなくてはならないときに注意しなくてはならないことがあります。

 

先述したように、あきらめなくてはならないことに絶望して無気力におちいってしまうことです。

これが一番、自分の人生を狂わすといっていいでしょう。

 

強い執着が、反転して強い絶望感を生み出し、人生を投げ出してしまうのです。

絶望感が自分への怒りに転じて自殺する人もいます。

 

自殺するまでいかなくても絶望感を抱えたまま自暴自棄になって生きていてら、何をやってもうまくいくことはありません。

 

「((=゚Д゚=))ノ 人生、投げたらあかん!」のです。

 

あきらめるけど投げ出さない生き方を目指す

 

 

人間だれしも、物事がうまくいかなくてあきらめたときは絶望感に陥ります。

それはもう仕方ないことです。

 

 

というか、絶望を感じなかったら、それは自分にとってどうでもいいことだったということですよね(^◇^;)

 

問題なのは「絶望」することではなく「もう、自分なんてどうなってもいい」と自暴自棄になって人生を投げ出すことなのです。

 

とはいえ、投げ出したくなるのはだれしもあるのです。

では、そういうときどうすればいいのでしょうか?

 

1. 寝る

 

 

( ^ω^ )そこで、まずは「寝ろ!」とわたしは声を大にして言いたい。

 

本来なら『瞑想』をしてみましょう、なんておすすめしたいところですが、絶望感でいっぱいになっているときに『瞑想』なんて正直できるもんじゃありません。

 

強い絶望感は強い無気力を引きおこすのです。

 

「瞑想」できればそれに越したことはありませんが、無気力になっているときには無理です。

 

そんなときは寝ればいいのです!

 

2~3日休んでも罰はあたりません。

というか今までがんばってきたのだから、休んでいいのです。

ここで無理をしようとするから鬱になってしまうのです。

普通は2~3日でもちなおすので、ダラダラする自分を許しましょう。

 

2~3日くらい無気力にダラダラしていると、ちょっと心が落ち着いてきます。

 

そこから、ずーっとダラダラと無気力に生きるか、立ち上がって前に進むかが人生の分かれ道です。

 

2.体を動かす

 

 

ダラダラ過ごして少し心が落ち着いてきたら、次は体を忙しく動かしてみます。

 

炊事・洗濯・掃除を徹底的にやってみる。

筋トレをしてみる。

走ったり、歩いたりしてみる。

 

極力、思考することを止めて、体を動かすことに専念してみます。

 

ダラダラすごしていて、体を動かすことさえおっくうになりそのまま「引きこもり」に・・・という展開だけは避けましょう。

 

厳しい言い方ですが

「引きこもり」というのは「生きながら死んでいる」と同じことです!

 

私的には家事を一番おすすめしたいところです。

家がきれいになると、気持ちもすっきりしますからね。

気持ちがすっきりすると、元気もわいてきます。

 

「もういっちょ、がんばってみっかな!」という気持ちになってきます。

そうなればしめたもんです。

 

3.「瞑想」してみる

 

 

次におすすめしたいのが『瞑想』です。

 

人生の荒波の乗りこなしていくためには、【感情(本能)】で生きるのではなく【理性】で生きていくことが非常に重要になってきます。

 

【理性】とはわたくし的には「ものごとを客観的に判断し実行する力」と思っているのですが、自分自身を客観的に判断するというのはめちゃくちゃ難しいのです。

 

瞑想をしながら自分自身を客観的に観ることができるようになると自分自身を衝き動かしているのが強い執着であるということがわかってきます。

 

そして自分の「執着」をほんのわずかでも観ることができれば、心は一段階成長しています。

執着を観ることができたら、それはそのままその執着が手放せたということになるのです。

 

「執着」を少しでも手放せると、その分生きるのが少し楽になります。

自分を縛っていた縄が少し緩まる感じです。

 

わたしたちは自分では中々気づけませんが、強い執着という縄で自分自身をがんじがらめにして生きているもんなのです。

 

執着を完全に無くすには「悟る」以外にありませんが、悟りに達しなくったって、人は幸せに生きることはできます。

 

自分自身を客観的にみて、執着を少しづつ手離していけばいいのです。

それはまた自分自身の心の成長でもあります。

 

そして執着を手放せば手放すほど、ものごとは上手く回りだすから不思議なもんですよ(^◇^;)

 

まとめ

 

 

生きていればいろいろありますが、絶対に「投げ出したらあかん」です。

 

なんとか自分と折り合いをつけるのが生きることと言っていいでしょう。

 

「無理をしないで、無理をする」

 

生きるってそういうジレンマの連続ではないでしょうか?

 

みなさまのご健闘をお祈りします。

みなさまが幸せでありますように( ゚▽゚)/








記事一覧はこちら→「心を洗う」


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