持って生まれた【業】に流されない生き方


 

瞑想実践会法話

 

11月5日~11日まで誓教寺主催の瞑想実践合宿が開催されましたが、その瞑想会でスマナサーラ長老から様々な法話があったのですが、今回はそのときのお話をもとにして書いていきます。

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スマナサーラ長老

 




 

スマナサーラ長老の法話

 

自分の見ている世界と他人の見ている世界は違う

 

自分の見ている世界というのは「目で見える」「耳で聞こえる」「体でさわる」などの外部から取り入れた情報をデータとして蓄積していて、それをもとにして世界を見ています。

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では、自分のデータをもとに観ている世界が本当の世界なのでしょうか?

自分が取りいれた情報だけで「正しく世界を観ているか」というとそうはならないんですね。

 

それぞれが、それぞれの「世界観」を持っています。

 

例えば「ミミズ」。

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「ミミズ」は土の中に暮らしていて目もないために、鳥の存在を知ることはできません。

誤って土の中から出てきたところを鳥に食べられはしますが、鳥に食べられたとはわからないのです。

ミミズにとっての世界はほぼ「土のなか」だけです。

 

わたしたちもミミズと同じようなものです。

 

わたしたちは、「見る」・「聞く」・「嗅ぐ」・「味わう」・「触る」・「考える」という六感によって世界を知ります。

そしてそこから「世界」が生まれるのです。

 

ひとりひとりが異なるので「世界」もまたひとりひとり異なります。

そしてそこからまた、さまざまな悩み・苦しみが生まれます。

 

わたしたちは自分のつくりだした「世界」によって悩んだり、苦しんだり、トラブったりしているのです。

 

ミミズのように偏った見方で「世界」をつくるので、各人それぞれの問題も異なるのです。

 

「フォーマット(土台)」が人生を左右する

 

わたしたちは「フォーマット」と呼べるような各個人の「土台」をもって生まれてきます。

「フォーマット」によって「好き嫌い」などの嗜好やものの考え方、性格・性癖などがきまるのですが、この「フォーマット」によって人生は左右されます。

 

このフォーマットも「無常」ですから、どんどん変わっていきます。

しかし「基本的な部分」というのは中々変わりません。

ものすごく痛い目やつらい目にあって、はじめて変わり始めます。

 

わたしたちは「幸せになりたい」と思っています。

簡単になれます。

「幸せになりたい」のなら自分で「幸せな世界」をつくればいいだけのことです。

 

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ところが「フォーマット」が邪魔をするのです。

何があっても幸せを感じる、そのような心になりたくても「フォーマット」がさせてくれないのです。

 

「フォーマット」=「業(カルマ)」

 

この「フォーマット」というのは各々が持って生まれた「業(カルマ)」のことです。

 

「業」が心を調整します。

心で感じることというのは「業」の結果です。

例えば「悲しい」と感じたり「嬉しい」と感じたりするのも「業」によるものです。

 

ところがこの「フォーマット」」となる「業」はなかなか変えることができません。

しかし、だからといって放っておくと「業」が好き勝手をして、とんでもない結果をだしてきます。

 

「フォーマット」を変えていく努力をしないかぎり「ものの見方・感じ方」を変えることはできません。

 

ものを見るとき「フォーマット」が割りこんできます。

ものを聞くとき「フォーマット」が割りこんできます。

ものを嗅ぐとき「フォーマット」が割りこんできます。

ものを味わうとき「フォーマット」が割りこんできます。

ものをさわるとき「フォーマット」が割りこんできます。

ものを考えるとき「フォーマット」が割りこんできます。

 

このように「フォーマット」が勝手に割りこんできて、各人それぞれの「ものの見方・感じ方」を変えてくるのです。

 

仏教ではこの「フォーマット」を訂正しましょうと教えます。

 

「フォーマット」でなおさなくてはならない部分をなおしていく作業が「ヴィパッサナー瞑想」です。

 

わたしたちはどうしても「フォーマット」によって「ありのままにものごとを見る」「ありのままの世界を知る」ということができません。

 

「ヴィパッサナー瞑想」とは「フォーマット」が割りこまないようにする訓練です。

この訓練をしていくことで「業」の支配から抜けるのです。

 

ヴィパッサナー瞑想に関する記事

ヴィパッサナー瞑想:立つ瞑想のやりかたと注意点

ヴィパッサナー瞑想:座る瞑想のやりかたと注意点

ヴィパッサナー瞑想:歩く瞑想のやりかたと注意点

 

この法話を聞いて・・・

 

思ったこと、感じたこと

 

「フォーマット(業)」、こわっ(|| ゚Д゚)

 

だって、要は私が思うこと、感じることすべてが「フォーマット」によって決められているということですよね。

そして、そこには自分の「自由な意思」なんてものはありません。

 

わたしたちは持って生まれた「フォーマット」に支配されて生きているのです。

そして、その「フォーマット」に流されるまま生きていたら、人生の落とし穴に落ちまくってしまうことになるということです。

 

どうやったら「フォーマット」の支配から少しでも抜け出せるようになるのかというと、やはり一瞬、一瞬の自分の行いや思考に気づく(マインドフルネス)であるということと、慈しみの心を持ち続けるということ、この二つしかないんだろうな~と思います。

 

「フォーマット」に流されるまま怒ったり、泣いたり、悲しんだりしていては、いつまでたっても同じようなことが繰り返されるだけでしょう。

そんな悪循環を断ち切るためには、少しでもフォーマットに気づき、対応するしかありません。

 

「フォーマット」が引き起こす悪感情に流されるままの人生は確実に不幸をまねきます。

 

そんな不幸な人生から抜け出すためにも「ヴィパッサナー瞑想」や「慈悲の瞑想」は不可欠といえます。

 

【運命好転!業(ごう)返しの技】で書いたように、つらいことがあってもそれに感謝できるようになれば、その業は消えていくそうなんですが、おそらくこれも「フォーマット」が元となり引きおこされる結果に対し、それに気づき心を慈しみに変えていくことで悪業が消えていくということなんだろうと思います。

 

むずかしいんだけれども、やはり自分の感情に「気づき」、それに流されることなく「慈しみの心」を保ち、「業」の結果が現れたことに「感謝」することで、徐々に人生が変わっていくのでしょう。

 

しかしですね~、実際にやってみたら、まあむずかしいんです(^◇^;)

 

とはいっても「むずかしいからやめた」では、成長もないし人生も好転しないので、やるっきゃないんですね(o゚▽゚)o

わたしはもう「フォーマット」に支配される人生にはうんざりです。

 

みなさまが幸せでありますように( ゚▽゚)/








記事一覧はこちら→「心を洗う」


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