業(カルマ)に正しくアプローチして理不尽を乗り越える(Part1)


 

業とは何か?

 

これまで

『理不尽な状況を乗り越える正しい方法とは』

『理不尽な状況に対する正しいアプローチとは』

『共感力を育てて理不尽な状況を乗り越える』

 

と、どうすれば理不尽な状況を改善し乗り越えることができるかを書いてきました。

 

さて、今回から「業(カルマ)」について少し書こうと思います。



 

業とはポテンシャルエネルギー

 

日本テーラーワーダ仏教協会のフェイスブックで「業」についての記事が紹介されていました。

「業」とはどういうものなのかスマナサーラ長老がとてもわかりやすく説明されているので是非参考にしてみてください。

 

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スマナサーラ長老

 

智慧の扉:『業というガソリンを正しく燃やす』(2016年パティパダー6月号)より抜粋

 

カルマ・業というのは自分の思考がつくる結果です。

あなたのこれまでの思考があなたのいまを作っているのです。

あなたはそこから逃げられません。

しかし、それからまた清らかな思考をして、道を変えていくこともできるのです。

その変化するエネルギーを業といいます。

思考の裏にある感情がすべてを決めています。感情の中に業があるのです。

 

たとえば車はガソリンで動きますね。

業はガソリンのようなものです。

ガソリン自体には燃えることしかできません。

しかしちゃんとしたところで燃やすと、車の燃料になるのです。

このガソリンみたいなエネルギーが業で、それがこころの中にある。

しかしそれは、思考パターンの枠内で燃えているのです。

ですから思考パターンがすごく清らかなものだったら、業は正しい結果を出して燃えるし、思考パターンがおかしかったら、かなりヤバイ燃え方をするのです。

 

ガソリンは環境に従って燃えるだけです。

ガソリンを人の身体にかけて火をつけたら、その人がパッと北海道に行ってしまったということはあり得ません。

ひどい火傷をおって焼け死ぬだけです。

ガソリンを飛行機や自動車のエンジンに入れて燃やして、それから正しく運転すると、どこかよいところへ行けるのです。

 

ガソリンは自分の仕事をしただけです。

業というのはそのようなエネルギーなのですね。

そのエネルギーは、こころの中で瞬間瞬間に生まれるものです。

私たちはいまの思考で、次に何をするのか、次にどう生きるのかと決めているでしょう。

 

たとえば今日の朝起きて、冥想会に行かなくてはと思考したでしょう。

その思考の結果、あなたの身体が動いて、電車に乗ったりいろんなことをして、ここまで来たのです。

ここまで来させたエネルギーは業です。

あなたの思考がここまできちんと導いたのです。そこで思考が途中で混乱すると、たちまち迷子になってしまうのです。

 

業について考える時は、ガソリンのたとえがいいのです。

ガソリンは燃えてくれる、エネルギーを出してくれる。

しかし、どこでどのように燃やすかというのは、私たちの思考次第です。

ですから、業はつねに働いています。

自分の気持ちが、自分の次の人生を作るのです。

次の人生というのは、次の瞬間の人生でもあるし、来世の人生でもあるのです。

 

~生きとし生けるものが幸せでありますように~   




 

私たちは過去世からの業も受け継いでいる

 

さて、仏教では私たちは数えきれないほど生まれ変わりを続けていると教えています。

 

前世の私はどうだったのかなんて気にしている場合ではありません。

無量大数生まれ変わっているからには本当に様々な人生があったことでしょう。

 

だから業も莫大で、とても一人の人間が一生で消化できるものではないので、持っている業のほんの少しを持って生まれてくるそうです。

例えば50mプールからコップ一杯の水を酌むようなものらしいです。

 

その過去からの業と、私たちが今思考して着々と作っている業で今の人生が現れているわけですね。

 

では、今の理不尽な状況へ対して業はどのように働いていると見るべきなのでしょうか?



 

業へ対する考え方

 

ネットで業(カルマ)について書いてあることをみると大きく分けて二通りあるようです。

 

1. 今生で自分が辛いのは、過去世での行いが悪かった報いなのだから受け入れなくてはならない

2. 業が熟して現れた結果、今の状況があるのだから、現れたらその業は消える

 

私としてはそれはどうかな~?と思います。

 

ではまず
1. 今生で自分が辛いのは、過去世での行いが悪かった報いなのだから受け入れなくてはならない
について考えてみましょう。

 

そもそも私は今の状況を誰かのせいにするという考え方が好きではありません。

たとえそれが過去世の自分であったとしても、その記憶がないなら他人と同じことです。

 

例えばですよ、未来からタイムマシーンに乗って、来世の自分がいきなりやってきて「私が今不幸なのは、あなたのせいだ」なんて言ってきたらどうしますか?

 

私だったら「まずはそのなんでも人のせいにする情けない根性を叩き直してから出直して来い」と言います。

 

来世

 

私たちが今、一生懸命生きているように、過去世の自分だって一生懸命生きていたに違いないのです。

私たちが過ちを犯すように、過去世の自分も過ちを犯したかもしれません。

 

しかし、だからといって今生の自分の辛い状況を過去世の自分のせいにするのはいかがなものでしょうか?

 

過去世の自分のせいにする前に、今の自分がするべきことはたくさんあります。

 

今までの自分の生き方を見つめなおし、悪いところを直そうと努力すること、優しい心を育てること、感謝することなど、することは山のようにあるはずです。

 

過去世の自分が何をしたかより、今の自分が何をすべきかのほうがずっと重要だと私は思います。

まずは自分の生き方を変える努力をしてから、改めて過去世の業について考えたほうがいいでしょう。

 

では次に
2. 業が熟して現れた結果、今の状況があるのだから現れたらその業は消える
について考えてみましょう。

 

業とは現れたら消えるとか、そんな単純なものでは無いようです。

この瞬間、瞬間、私たちの思考によって莫大な業が作られているからです。

 

例えば「理不尽な出来事A」があるとします。

 

ではその「理不尽な出来事A」に対して、怒りの感情を抱いて思考し行動したとします。

するとその怒りの業が莫大に蓄積されてしまうのですね。

 

1の悪業が消えたとしても、その結果として10の悪業が作られるならあまり意味がありません。

 

確かに「理不尽な出来事A」は現れたことで消えるかもしれませんが、それによって蓄えられた怒りの業が熟すと「理不尽な出来事B]「理不尽な出来事C」が次々に現れてくる可能性は大きくなるということです。

 

では逆に現れた「理不尽な状況」に感謝したり喜んだりしたらいいのかというと、理屈ではそうなりますけど、これはなかなか難しいですよ。

 

通常では感謝できないようなことに、無理に感謝しようとすると心にものすごく負担がかかりますから。

 

無意識に怒りを抱いていることもありますし、あんまり無茶はしないほうがいいと思います(経験者談)。

 

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『起こることすべてに感謝』という高度な技は、かなり人間のできた人でないと難しいので、まずは地道に心を育てるところから始めたほうがいいんじゃないかなと思います。

 

後で「色々辛かったけど、いい経験になりました。ありがとうございました。」と出来事に対して感謝しても遅くないと思いますよ。

 

『業(カルマ)に正しくアプローチして理不尽を乗り越える(Part2)』に続きます。








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