幸せに生きるために~心の体幹を鍛える


 

「あたりまえ」と思っていることに感謝する

 

 

言うは易く、行うは難し

 

幸せになる方法として「感謝する」ということがよく言われます。

もう人によっては耳にタコができるほど聞いたり、見飽きるほど何かで読んでいたりすると思います。

しかし「言うは易く、行うは難し」とはよく言ったもので、わたしたちは「あって当たり前」と思っているものにはなかなか感謝できないものなのです。




 

例えば「呼吸する」

 

呼吸できなければ死んでしまいますから、呼吸できるということはとてもありがたいことです。

肺の病気になったら、息をするということがどれだけありがたいかがよくわかります。

しかし、普段は「呼吸できること」が当り前になっているので、ありがたみがわかりません。

 

健康でいることのありがたさ、平和に生きていられることのありがたさ、なにより普通に生きていられることのありがたさ。

このような「あたりまえ」のことに感謝できるようになれば、毎日が毎日が幸せいっぱいに過ごすようになれます(といろいろな本に書いてありますし、スマナサーラ長老も法話でそうおっしゃいます)。

 

 

「あたりまえ」のことに感謝できないのが私たち

 

ところが、この「あたりまえ」なことになかなか感謝できないのが私たち人間なんですね。

 

なぜかというと、わたしたちは「あたりまえ」のことに感謝するより、辛いことや悲しいこと悔しいことなどに焦点をあてて、感情的に生きるようにプログラムされているからです。

 

つらくて悲しい状況や、ものすごく追いつめられた状況で「目の前の幸せを感じてみましょう」と言われたところで、なかなか「ああ、そうですよね、やってみます」とはならないものです。

 

私自身、「目の前の幸せに感謝しましょう」というフレーズに激しく同意はするものの、実際に感謝できるようになるのには時間がかかりました。

なぜかというと心はことあるごとに「幸せ」よりも「不幸」なほうに焦点をあててしまうからです。

 

 

 

 

 

 

この「不幸」に焦点をあててしまった心を、「幸せ」のほうに方向転換させるには、なかなかのエネルギーがいります。

いや、すごくエネルギーがいります。

しかし、そこでやめてしまっては先にすすめません。

 

わたくし、やっとわかったのです。

「幸せな心」をつくるには「努力と訓練」がかなり必要ってことに。

 

心の体幹を鍛える

 

すぐに「不幸」のほうに焦点をあててしまう私たちの心。

それを「幸せ」に焦点をあてるように、心を鍛えていきます。

 

「呼吸できる」、「手が動く」、「歩ける」、「食べられる」、「働ける」、「話せる」などなど「できて当たり前」、「あって当たり前」なんだけれど、「できなきゃ困る」、「なければ困る」というものをあげていきます。

そしてその一つ一つに感謝するようにするのです。

 

やりはじめるとわかりますが、はじめはものすごく心が抵抗します。

「こんなの幸せなんかじゃない」

「自分が今おちいっている状況下で、こんなことに幸せを感じられるわけがない」

 

いろんな言い訳をして心は自分の「不幸な状況」に執着します。

 

それをかなりムリやり引き離して「幸せな状況」のほうに焦点をあてるように訓練するのです。

 

最初はなかなかうまくいきません。

それは心の「幸せ筋肉」が弱いからです。

それを「感謝」することで鍛えていくのです。

筋肉が鍛えることで発達するように、心も鍛えれば次第に変わっていきます。

心の「幸せ筋肉」がどんどん発達していきます。

 

するとある時気づくときが来ます。

自分が「辛い、悲しい」と思っていた状況さえ、自分の心を変えてくれるありがたい経験であったことに。

そのように思えるようになったら、毎日がハッピー、ハッピーです。

 

私自身、まだまだ修行中ですので、年がら年中ハッピーとはいかないのですが、それでも以前にくらべれば格段に幸せを感じられるようになりました。

 

「努力したところで報われるとは限らない」とはよく言われますが、この場合の努力は100%報われます。

やればやるだけ報われます。

みなさまも、心も鍛えてハッピーになりましょう(*^▽^*)

 

そのほか幸せに生きるための秘訣いろいろ

 

11月の瞑想実践会でのスマナサーラ長老の法話で「人は未来を考えると、どえらい不幸を感じる」というものがありました。

スマナサーラ長老

 

これは、わたくしよくわかります。

私たちは「将来」という果てしなく遠い未来のことを考えては不幸な気分におちいってしまいますが、そんな遠い未来のことでなくても、ごく近い未来のことを考えても不幸な気持ちになります。

 

例えば、食事をした後の「皿洗い」。

「皿洗いしなくっちゃ」と思った瞬間、ものすごくやる気がなくなります。

疲れていれば、よけいにやる気がなくなります。

 

「明日仕事に行かなくちゃ」、「このテレビ見終ったら勉強しなきゃ」などなど、「いついつに何々しなきゃ」と考えると、やる気があっという間になくなります。

ほんとうに「どえらい不幸」を感じるのです。

それを無理にしようとするので「不幸」倍増。

わたしたちは「未来にやらなきゃいけないこと」を考えると不幸を感じてしまうのですね。

 

じゃあ、どうすればいいのかというと、やはり「いま」を生きるしかないということです。

 

「今するべきことに気づいて、するべきことに集中する」

これが幸せに生きる秘訣ということです。

 

ただ、悟った人なら頭のなかは「無」ですから、【智慧】だけで目の前のやるべきことをやることが可能なのでしょうが、凡夫たるわたくしたちは中々そのようにはいきません。

 

今を生きたくとも、やはり時間にとらわれてしまう、未来を考えてしまう、それが【凡夫】たるわたくし達です。

 

それでよくわたくしがするのが「皿洗いしなきゃ~」ではなく「お皿、さっさと洗っておこう」とか「これが終わったら、ブログ書こう」とか「~しよう」、「~しておこう」と考えるようにするということです。

 

「~しなきゃ」はどえらい不幸を感じますが、「~しよう」はあまり不幸を感じないんですね。

 

凡夫たるわたくしたちが「幸せに生きる」には「今を生きる努力をしつつ、未来を考えるときは積極的な心で考える」ようにしていけばよろしいんじゃないかと思います。

 

その他、幸せに生きる秘訣としましては「怒りの心で生きるより、慈しみの心で生きたほうが楽」ということに気づくことです。

私自身の経験から申し上げますと「怒りの心」というのは本当に苦しい状態です。

そのような心で生きるのは不幸そのもの。

 

だから「怒り」ではなく「慈しみ」の心で生きるように、努力してみる。

「慈悲の瞑想」を一生懸命やってみる。

つべこべ言わずにやってみる。

すると、少しずつ少しずつ心が変わっていきます。

 

「慈しみの心」という穏やかな優しい心で生きるというのは、幸せそのものです。

超ポジティブ状態です。

 

私も以前そうだったのですが「怒りたくなくても怒ってしまう」という方がけっこうおられると思います。

それは怒ることがくせになっているのです。

「怒りぐせ」を無くす努力を続けていくことこそ、ハッピーライフへの近道です。

 

この努力もやればやるだけ報われます。

おすすめです。

 

関連記事: 慈悲の瞑想(省略バージョン)改訂版

 慈悲の実践(フルバージョン)釈迦牟尼仏陀の世界

 

 

朝一番、決意して生きてみる

 

あと最近私がよくやっているのが、朝一番に「今日一日を最高な一日にしよう」と自分自身に言い聞かせるというものがあります。

 

誰に会おうが、何があろうが関係ない。

自分自身で今日一日を最高な一日にするんだと決意して、一日をスタートさせてみる。

 

そうすると不思議なことに、元気がわいてきます。

他人にふりまわされず、感情的にならなくなります。

一日充実して生きられる感じがします。

布団に入るとき「今日も一日がんばったな~」と思えます。

 

イライラすることがあっても、すぐにその怒りに気づいて「今日一日を最高な日にするんじゃなかったっけ?」と自分に問いかけるとイライラも消えていきます。

 

結局、幸せな毎日をつくるのは自分の心がけ次第ってことですね。

 

みなさまもどうか心の幸せを感じながら、よい新年をお迎えくださいませ( ゚▽゚)/









記事一覧はこちら→「心を洗う」


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