私たちはどう生きるべきなのか~ポジティブ思考でなくても大丈夫


今回はPaṭipadā(パティパダー)を紹介します

 

Paṭipadā(パティパダー)とは

 

日本テーラーワーダ仏教協会の会員になると毎月Paṭipadā(パティパダー)という少冊子が送られてきます。

この少冊子はスマナサーラ長老がほとんどのコラムを書いておられ、大変おもしろく仏教を学べるので私は大好きなのですが、この冊子の中のどういうところが特に好きかというと、人生に対して事実しか述べてないところです。

夢や希望をもって生きましょうなんてことは一行たりとも書いてありません。





◎ ありのままに物事を観ましょう。

◎ 慈悲喜捨の心で生きましょう。

 

毎月さまざまなことが書いてありますが、要点はこの二点に絞られます。

それでも、毎月なるほどな~と勉強になる内容ばかりなので、何回か読み直したりします。

 

釈尊の教え・あなたとの対話

 

さてPaṭipadā(パティパダー)には【釈尊の教え・あなたとの対話】という質問のコーナーがありまして、会員さんの質問にスマナサーラ長老が答える形式になっているのですが、8月号の質問と答えが「私たちはどう生きるべきか」という疑問に非常に参考になったのでご紹介します。

 

若者の悩みに答える

 

Q:
最近の私の悩みなのですが、いろんなことにすごく執着してしまいます。

いろんなことに対して怒ったり、残念に思ったり、後悔したり。
いろんなことにこだわった結果、マイナス思考、ネガティブな感情が出てきてしまう。
それが苦しいのです。
プラス思考に変えたいと思うのですが、実践する方法がわかりません。
どのようにしたらいいのでしょうか?

 

A: 「失敗してよかった」と思えばいい

あなたのような若者は特にそうですが、人はいろんなことに執着して、いろんなことをやってみるものです。

でも当然、失敗したりします。
失敗したら「これで良かったんだ」「あぁ、ダメだった」と思っちゃえばそれでいいのです。
もし期待していたことが上手くいったら、もっと酷い目にあっていたかもしれませんからね。

 

へんな例を出します。
若い人が大学へ入ろうと頑張ったのですが、いくつか受験したけれど、みんな落ちてしまって、しかたがなく専門学校に入ったとします。
それでも、「大学に行きたかったのになあ」「失敗したなあ」と悩むのではなく「これでよかった」と思うこと。

 

専門学校できちんと学べば技術も身につくし、仕事の求人もある。就職活動をする必要もないかもしれません。

一方、、大学で何かの学部を出たからといっても、それだけでは仕事がないのです。
ですから就職活動をしなくてはならない。
それから会社に入ったとしても、また就いた仕事の勉強をしなくてはいけません。
その上、自分に能力があるかもわからない。結構ややこしいのです。

 

専門学校だったら、最初から道は決まっているし、就職して会社に入ったとしても、今まで勉強していたことだから「仕事をしてください」と言われるだけです。
だから「失敗してよかった」と思ったほうが楽なのですね。

 

将来は誰にも分からない

 

私たちは先がわかりませんから、いろんなものに挑戦するのです。
あれもこれもやりたがる。
それは先が分からないからなのですね。
試してみなくちゃ分からないのです。
自分の将来がわかっているんだったら、そんなに困る必要もありません。

 

将来というのは、絶対、誰にも分からないものなのです。
将来を理解する方法もありません。そこをよく覚えておいてください。
預言者は存在しなかったし、これからも存在しないのです。

 

聖書の類のものには「預言」「預言者」の話がいっぱいでてくるでしょう。
よく読んでみてください。完璧に真っ赤なウソです。
ひとつとして当たった預言はありません。

 

将来を読みとるのは不可能ですから、私たち一般人は将来がわかったらありがたいなぁと思っているのです。
(途中略)
そういうことで、私たちは過去にノストラダムスの予言とかを真に受けて、あたまがおかしくなってしまいました。
彼は詩人だったようで、詩人としての能力は認めます。
詩を書く人ですから、何でもあいまいで書くのが当り前なのです。

 

そこで私たちはバカで、自分勝手に解釈・解説して「預言が当たりました」と思う。
実際にはひとつもあたっていません。

 

分からないからこそ、やってみる

 

私たちは、いまの瞬間から次の瞬間、どうなるかわからないのです。
仏教でなくても、いろんな本を読んでみると、とくに若者向けに書いてある本をみると、哲学のようなものを面白く書いてあるのです。
いつでも将来のことになると、それだけは絶対に分からない、と書いているのです。

 

書いている人もよく知っているのですね。
将来は混沌としていて、まだ固定されていない。
ですからいろんな道がある。
いわゆる、可能性がたくさんあるという意味ですね。
こうなるかもしれない、ああなるかもしれないという可能性がいくつかあるのです。

 

その将来の分からない私が、あれもやってみたい、これもやってみたいということになるのです。
ですから、あなたのような若者がやっていることは自然の流れなのです。

 

あれにも欲をもって、これにも欲をもって、何かをやったら、さらに他のことがやりたくなってくる。
それで私たちのような年寄りが、若者を怒鳴ったりバカにしたりするのです。
「何をしているんですか?途中でやめちゃって、また他のことをやろうとする」
「どうせすぐやめちゃうくせに」とからかうのが大人の仕事です。
親にごちゃごちゃ言われることでいくらかバランスがとれるのです。

 

そう言われても本人は試してみたい。
試してみて二日であきらめてしまう。
それは私は自然だと思います。

 

ですから、あなたのような若者が大人にいつでも怒鳴られたり、バカにされたりする状況も、それも自分のお守りになるのです。



ポジティブ思考でなくても大丈夫

 

それから、ものごとはポジティブ思考でみなくてもいいのです。
将来のことが分からないくせに、なぜポジティブにみなくてはならないのですか?
やってみたいことが上手くいっていいのかどうか、ということもわからないのに。
(途中略)

 

流されたところでしっかり根を張る

 

あなたもいろいろ希望があったかもしれませんが、上手くいかなかったことが現状であるならば、だったらそれをしっかりとやることです。
自分のやりたかった計画ではなかったかもしれません。
ただ自然の流れで飛ばされただけかも。
であっても、そこでしっかりやってみるのです。

 

例えば、いろんな植物の種が風で飛ばされるでしょう。
その種は自分がいい場所で成長したいと思っていますか?
そんなことはありません。どうでもいいのです。
流されたところで、根を張るのです。それだけです。
いったん根を張ったら、しっかり成長して花を咲かせないといけませんね。
それが人生なのです。

 

ですから、別にポジティブ思考で生きなくてもいいのです。逆でもいい。
この世の中は何ひとつも上手くいくわけがない。将来は分からない。
とはいっても行動しなくてはいけません。

 

気に入った女の子がいても、たぶん相手にされずダメだろうな、無視されるかな、もしかすると「あっち行け!」と邪険にされるかもしれない。
そのように最悪の状況、極端にネガティブなことを考えて行動してみればいいのです。

 

そうして「名前はなんていうの?どこから来たの?」となんとかして喋りかけてみる。
女の子にいくらか喋りかけただけで、あなたは成功したということになります。

 

日常会話ができただけでも、最悪の状況からすれば成功していることになるのです。
その女の子と友達になりたい、付き合いたいとポジティブ思考をしていたら、最悪の結果に陥ってしまうのです。

 

「ありのままに観る」が正解

 

だいたい物事はうまくいかないものです。
それでも「よかった」と言える結果にもっていけるかどうかは、私の行動次第だと理解する。
そう思うことが正しい思考なのです。

 

ネガティブ・ポジティブのどちらも良くありません。
それはわがままなのです。

 

ネガティブ思考は怒りで現れる妄想です。

ポジティブ思考は欲と自我で現れる妄想です。

 

どちらにせよ、妄想はよい結果を出しません。

 

俗世間では「ポジティブ思考で頑張るぞ!」とくだらないことを言っていますが、世間は流れるのでネガティブもポジティブもないのです。

 

熊本の大震災はネガティブですか?違います。
あれは自然の流れなのです。
洪水や地滑りなどはネガティブですか?
そんなものにネガティブもポジティブもないのです。
物事の流れなのです。
あなたはどのように対応するのか、というところで、あなたの点数がきまるのです。

 

ですから、物事はネガティブやポジティブではなく「客観的に観る」「ありのままに観る」ということが正解なのです。

 

将来は分からないのですから、あなたにはこれからもいろんな悩みが出てきます。
いろんなことに執着してしまったりする。
それは別に気にしないでください。
客観的に観ることができれば、そこまで悩んで苦しくなることはないでしょう。

 

悩むのはそこに選択肢があるから

 

年をとると選択肢が消えていくものです。
私の年になると、できないことがいっぱいでてきます。
あなたのような若者にとってはできることは幅広くある。
ですから、悩みもけっこう多いのです。
年寄りには、あきらめたくなくても、あきらめなくてはいけないものがいっぱいあります。
選択する幅が狭い。

例えば、誰かが私に「夏に富士山に登りませんか?」とさそったとする。
私は富士山に登ったことはないけれど「やめときます」と断るのです。
なぜかというと、もう体が弱くて、二日間とか筋肉を疲労させることはできない、耐えられないからです。

 

しかし、友達があなたに「富士山に登りましょう」と誘ってきたら話は別です。
「登りたい」と思ったとしても、いろいろ登れない条件が出てきます。
金が無いとか、バイトがあって休めないとか、他に用事があって行けないとか、それがあなたの悩みになるわけですね。
体力的には登れるからです。

 

あなたにとっては登山の練習をしたり、服や靴を買ったりして、いろいろ準備することは面白い。
しかし、私にとっては、そういう楽しみなどは最初からカットされているのです。そんなものです。

 

しかし、選択肢がたくさんあったとしても、結局はひとつしか選ぶことができません。
将来は分からないから選べないのです。
ですから「飛ばされたところで根付く」ということになります。
過去もそうだったし、今もそうでしょう。将来も同じことなのです。
(以上で終わりです)

 

若者に限らずすべての人に当てはまる

 

今回の質問は若い人が質問されていたので、若い人向けの答えになっていますが、色々な部分でとても参考になります。

 

例えばネガティブもポジティブもない、というところなんか「そうなんだな」と思います。

 

今の状況に対して、どのような行動をとるのか常に選択をしていき、どのような結果でも受け入れるというのが、正しい生き方ということなんでしょうね。

 

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記事一覧はこちら→「心を洗う」


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