本当はこわい共鳴する生き方


 

心が共鳴しあって人間関係はつくられる

 

 

わたしたちの思考は基本的に貪瞋痴(とんじんち)

 

 

さて今回は、11月のスマナサーラ長老の法話を要約・編集して、わたしなりに解釈したものを書いていきます。

 

前回の【人の善いおこないに共鳴すると善い業(ごう)を積むことができる】で書きましたように、人の善い行い(ボランティアや寄付など)に心から共感することで、同じくらいの善業を積むことができると書きました。

これは本当にお得なお話ですね。

自分はなんもしてないのに、他人がした行為に賛同・共感するだけで自分も徳を積むことができるのです。





しかし、世の中、そんなうまい話だけで成り立つわけがないのです。

 

『共鳴する生き方』

 

こう書くととても美しい生き方のように感じませんか?

 

しかし、本当は『共鳴する生き方』というのは気をつけないととんでもないことになってしまうのです。

 

どういうことかと申しますと、【自分の思考に要注意!~思考が業(ごう)となり溜まっていく】で書いたのですが、わたしたちの思考は基本的に何を考えても『欲』『怒り』『無知』の3種類にカテゴライズされてしまいます。

※貪瞋痴(とんじんち)のこと

 

そして『欲』にしても『怒り』にしても『無知』しても、全部『心で働く悪い行い』なのです。

 

わたしたちは普通に生きているだけなのに、いつの間にやら『悪業(あくごう)盛りだくさん』な生き方をしているわけなんです。

 

「なんか、納得いかね~(#゚Д゚)」とお思いになるかもしれませんが、残念ながらそうなのです。

 

 

こわいのは悪業にしても、善業にしても消えることはないということです。

 

とても善い行いをしたから、それによって今までの悪い行いで溜まった悪業が相殺されるということは無いのです。残念ですが(-ω-`*)

 

しかし、善業が悪業が出てくるのを抑えてくれる、後回しにしてくれるという効果はあります。

 

自分が生きている間、もしかしたら殺されるとか、不慮の事故にあうとかそういった悪業を、善い業があれば出てくるのを抑えてくれる可能性はあるのです。

できることなら、そのような悪業は自分は生きている間に出てきてほしくないですよね。

 

ですから、仏教では口を酸っぱくして「善い行いをしなさい、悪い行いはしないようにしなさい、心を清らかにするよう努めなさい」と言っているのです。

 

しかし、実際には私たちは思考で悪業を思いっきり溜めている状態なのです。

しかも、わたしたちは普段、自分の思考にすら気づいていません。

これが『無知』の煩悩の恐ろしさです。

わたしたちは自分が何か悪いことをしているということさえ分からず生きているのです。

 

まずは『自分自身の思考・妄想に気づくこと』これが非常に重要になってきます。

 

※詳しくは【自分の思考に要注意!~思考が業(ごう)となり溜まっていく】をお読みください。

 

 

さて、先述したようにわたしたちはお互いに共鳴しながら生きています。

そして、基本的にわたしたちの思考は『欲』・『怒り』・『無知』の三つで成り立っています。

 

ということは、私たちはお互いに『怒り』・『欲』・『無知』の思考で共鳴しあいながら、悪業を増幅させて生きているということです。

 

前回書いた【人の善いおこないに共鳴すると善い業(ごう)を積むことができる】は本当に特殊な例だと申せるでしょう。

 

善い業を積むのは普通に生きているととても難しいのです。

 

よく「わたし何にも悪いことしてないのに~」と嘆かれる方がおられますが、残念ながら少なくとも心の中では悪いこと盛りだくさんしているのです。

どうぞ、みなさまお気をつけくださいませね( ゚▽゚)/

 

『悪感情』に『悪感情』で共鳴するのは損

 

 

【人の善いおこないに共鳴すると善い業(ごう)を積むことができる】では、人の善い行いに「いいことだな~」と善い心で共鳴することで善い業を積むことができると書きましたが、反対に人の悪い感情に共鳴すると悪業を積むことになります。

 

例えば、ある人がものすごく理不尽に怒っている、その人に対して「何?あの人?許せない」と怒りの感情で共鳴してしまうと、そこで悪業を積んでしまうのです。

 

更にいえば、非道な連続殺人犯に対して、テレビを見ながらみんなで「なんてひどい奴だ」と怒りの感情で共鳴するのもやはり悪業なのです。

ひどい行為に対して怒りを感じたから、それが善行為になることはありません。残念ですが(-ω-`*)

 

共鳴には「共鳴と「反共鳴」がある

 

 

さて、共鳴には「共鳴」「反共鳴」があります。

 

例えば「怒り」に「怒り」で反応するのは「共鳴」です。

ある感情に、同じ種類の感情で反応することが「共鳴」です。

 

それに対し「欲」に対して「怒り」で反応するのは「反共鳴」です。

ある感情とは別の感情で反応することを「反共鳴」といいます。

 

例をあげると、例えばある人が高価な時計なり、アクセサリーなんかを自慢してきたとします。

そういうときに「(#゚Д゚) なによ、えらそうに、嫌な奴!!」という怒りの感情で反応するのは「反共鳴」です。

 

 

まあ「共鳴」にしても「反共鳴」にしても悪業なのは変わりありません。

 

そして、わたしたちは日々の生活の中で共鳴しあいながら、悪業をせっせ、せっせと溜めこんでいるのです。

ものすごく損な生き方をしているのです。

 

ちなみに生きている以上、わたしたちは共鳴しながら生きることからは避けられません。

 

ですから、共鳴の仕方を変えるしかないのです。

 

むずかしいけどやってみよう!慈しみの心で共鳴する!

 

 

先述いたしましたように、わたしたちは共鳴して生きることからは逃げられません。

 

共鳴して生きていかなくてはならない以上、悪い感情で共鳴していくのは大変損な生き方であることはお分かりになっていただけたと思います。

 

では、どのように共鳴すればよいのでしょうか?

 

もちろん解決策はあります(*゚∀゚*)

 

 

解決策1

 

まずは相手を「反面教師」としてみるということがあります。

 

仏教の『Sallkha  sutta(戒め)』というお経でもあるのですが、

共鳴は避けられない以上、相手を反面教師としてみて自分はやらないと決意することです。

 

お経では

「他人は怒りますが、我々は怒らないように努めましょう」

「他人は強欲になるが、我々は強欲にならないように努めましょう」

「他人は見栄をはるが、我々は見栄をはらないように努めましょう」

というような戒めを43ほどあげています。

 

このように、他人はやるけど自分はやらないようにすると努力することは善行為になります。

 

 

解決策2

 

次に「慈悲喜捨(じひきしゃ)」の心で反応・共鳴するように努力するということがあげられます。

 

慈悲喜捨(じひきしゃ)についての詳しい説明は

愛とは大きな力を得るということと同じ(PART1)

愛とは大きな力を得るということと同じ(PART2)

をご覧ください。

 

しかし、これはなかなか難しいんですよね~(^◇^;)

スマナサーラ長老のお話を聞いていて、こりゃ、できるかなって思いましたもん。

しかし、やらないよりはやる努力をしたほうが善業を積めますので、みなさまもどうぞレッツ・トライ( ゚▽゚)/

 

具体的にどのようにするかと申しますと、例えばものすごく怒っている人がいるとします。

その怒っている人に対して「慈悲喜捨」の「喜」を使うのです。

「喜」は「喜び」ですから、相手が楽しくなるようにしむけるのです。

ここではユーモアを使うってことになりますかね。

 

「(*゚∀゚*) まあまあ、ご飯食べに行って、ご飯食べてからまた怒ろうよ」

「(o゚▽゚)o 怒ると美人が台無しだよ~」

 

そのようなことを言って、相手を怒りからそらし、できるだけ楽しい心にしてあげるようにするのです。

む、難しいですね(^◇^;)

 

 

 

あとは、例えば「慈悲喜捨」の「悲」を使います。

「悲」は「相手を助けてあげたいと思う心」です。

 

その心を使って「この人はこうやって怒ることで悪業を積んでいることさえ気づけないのだ。可哀そうだな」と思うのです。

「あ~ぁ、かわいそ(((゚Д゚)))」みたいな上から目線な心ではだめですよ。

それは悪業になっちゃいますから。

 

そうではなく、相手が『無知』なために、怒ることで悪業を溜めていっていることに気づかないことを可哀そうに思うのです。

これも難しいんですが、がんばってみてください(-ω-`*)

もちろんわたくしも絶賛チャレンジ中です(*゚∀゚*)!

 

仏教では冷静な心を育てることをとてもいいこととしています。

ですから、どのような場合でも相手に振り回されずに、冷静な心を保つようにすることも立派な善行為です。

 

相手が怒っているから、自分も怒る~(#゚Д゚)

相手が嫌な奴だから、自分も怒る~(#゚Д゚)

 

どうぞ、そういう生き方はさっさと卒業されて、できるだけ善い業を積む生き方を選択されるようにしてください。

その生き方が、きっと自分を救ってくれることになりますよ。

 

【本当にこわい共鳴する生き方~父親を殺してしまった二つの事件】に続きます。

 

みなさまが幸せでありますように( ゚▽゚)/









記事一覧はこちら→「心を洗う」


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