人生痛い目にあうのは「人格修正しろ」って天から言われてる


 

結果的に「痛い目」にあうのはよいこと

 

 

あまりに変わって驚いた

 

 

今回は

【「私の何が悪いのか?」~痛い目にあったときそれがわかる】

のエピソードの続きです。




このエピソードでは、わたしの会社の男性のスクーターの運転が荒くて、通勤中、何度もヒヤリとさせたれたので「一度事故って痛い目にあうといい」と思ったら、2か月後くらいに本当に事故って鎖骨を骨折して入院してしまったということを書きました。

その彼が驚きの変化を遂げていたのでお知らせします。

 

この方は夏ぐらいに無事に復職されたのですが、部署も違うし顔をあわせることはあっても、話す機会はまったくなかったので、事故前の彼と、事故後の彼がどのように変わったのかは知るすべもありませんでした。

 

事故前のこの方の印象は大体の人が「柄が悪い」・「横柄」・「傲慢」というような感じを持っていたと思います。

 

 

話し方も態度もぶっきらぼうで、まったく印象がよくないうえに、スクーターの運転は乱暴。

こんな感じで、逆にいままでよく事故に会わなかったと思います。

 

さて先日、仕事で使う道具が足りなかったので、その人のいる部署に借りに行くと、ちょうどその人しかいなかったので、仕方なくその人に「道具をお借りできますか?」と尋ねたところ、まるで人が変わったかのような気さくで丁寧な対応で「あ、こちらです。案内しましょう」と別室に案内してくれたのです。

 

その後の対応も親切・丁寧で、わたしは内心驚愕しておりました。

 

(((゚Д゚))) 人はここまで変わるのか!?

 

事故をしたとき、どのような状況だったのかはわかりませんが、復職がかなり遅かったので、もしかしたらかなり重症だったのかもしれません。

 

そのとき彼が何を思い何を感じたのかは知るすべもありませんが、結果として事故にあって痛い目にあったら、彼は好人物にガラッと変わっていました。

 

ちなみにこれは私の印象だけでなく、他の人も同様のことを言っていたので、やはりみんな彼の変化に驚いていたのでしょう。

 

「痛い目」というのは人生に必要な経験

 

この方の性格がガラリと変わってしまったのは、やはり事故を起こした時にいろいろ思うことがあったからでしょう。

仮に事故にあわないで、そのまま以前の不遜な性格のままで生きていたとしたら、たぶんこの方の人生は不幸なまま終わっていたと思います。

 

「痛い目」というのは、その人を変える大きなパワーをもっています。

それは肉体的な痛みでも、精神的な痛みでも同じです。

 

私自身、いろいろ「痛い」経験をしてみて、やっぱり「ありがたい経験だったな~」と思います。

痛い目にあわないと人は自分を変えようなんて思いませんから。

 

まとめ

 

痛い目にあったとき反省と感謝ができるかどうかというのは大きなポイントです。

今までの自分を反省し、痛い目にあったことに感謝できることで自分の性格を修正することができるし、またそれによって自分をとりまく状況が変わっていくのだと思います。

 

痛い目にあうというのは「よりよい未来のための踏み台」みたいなもんです。

 

現在、痛い目にあっているみなさま、今が踏ん張りどきです。

ご健闘をお祈りします。

 

みなさまが幸せでありますように( ゚▽゚)/









記事一覧はこちら→「心を洗う」


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