出雲大社で竜神さまが出迎えてくれたわけ~至誠天に通ず


 

秘かに見守ってくれている存在がいる!

 

【出雲大社にお参りに行ったら、竜神さまが出迎えてくださった!】からの続きです。

 

真実がわかった日

 

今年の6月の終わりのことです。

私は仕事が終わって、ある同僚と出会いました。

(仮にKさんとします)

 

彼女とは会社は一緒でも建屋が違うので、あまり会うことがないのです。

久し振り会ったので、立ち話を始めました。





さて、Kさんは10年くらい前に急にわたしに腹をたて、突如として移動願いを出して、逃げるようにわたしから去って行った人です。

わたしはまったく訳がわかりませんでした。

これといって心当たりがないからです。

とても気が合い、話もはずむ人だったので、ものすごく悲しかったのです。

そして、そのころからわたしの『ゴリゴリ期』は始まったのでした。

 

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しかし、時というのは人の心をやわらげてくれるもの。

2~3年くらいまえから、会えば以前ほどではないにしても普通に話せるくらいには関係はよくなっていました。

 

それで、その日もしばらく立ち話をしていたら、思った以上に話がはずみ、休憩室でお茶して帰ろうということになり、コーヒーを飲みながら、久しぶりに積もる話をしたのです。

 

あれやこれやと話していると、急にKさんが「わたし、A子の話しだけを信じちゃいけなかったのよね。ポンタ丸さんの言い分も聞くべきだったのよね。」と言いだしました。

 

その一言でパズルの最後のピースがパチンとはまったように、わたしはすべてを理解したのです。

わたしの『ゴリゴリ期』をつくったのは全部A子の仕業だったことを。

 

A子に関する記事:

 

わたしの仕事を奪い、チャンスを奪い、おとしめ、すべてを奪ったうえで、裏で舌を出してほくそえんでいたA子の姿が見えるようでした。

 

A子は今でいう『サイコパス』です。

口がうまくて人にとりいるのがうまく、自分のためなら仲がよくても、恩があっても、平気で人を裏切りおとしめるような、そんな性根の腐りきった女なのです。

 

わたしはKさんにこう言いました。

「Kさん、A子はもういないから今さら言っても仕方ないんだけどね、A子への注意点は【ふつうに話してて半分うそ。人を説得しようとしたりして力を入れて話してくるときは9割うそ】

そう思って話してたくらいでちょうどいいよ。」

 

Kさんは心底驚いたようで

 

「(|| ゚Д゚)うそ~!?」

「なんで、それを早く言わないのっ!?」

と大声で言いました。

 

「なんでって、わたしだってA子がそんな病的なうそつきってわかったの、かなり後になってからだったしさ」

 

こう返事をしながら内心では

「Kさん、わたしのはなしも本当かどうか検証してから信じなよ。そんなにすぐにひとの話を信じるからA子にもコロっとだまされるんだよ」

と思っていたのでした(^◇^;)

 

まあ、わたしの話は本当のことなので信じてもらって構わなかったから、あえて言わなかったのですけどね。

 

それから、しばらくA子のことについて話した後、Kさんと別れてから、わたしはしばらく呆然(ぼうぜん)としていました。

 

「さて、どうしたもんかな・・・」

 

A子とA子に加担した人たちへ怒りと憎しみががふつふつと湧きあがるのを感じながら、わたしの頭は混乱していたのでした。



それが私の生きる道

 

それから家に帰って、しばらく落ち着いて考えながら「やはり、許そう」という結論にいきつきました。

それに一度許している以上、また許すのは一度目ほど難しいことではなさそうだとも思いました。

 

とはいえ、やはり許すというのは難しいもの。

他の方の許した体験談なんかを見て、少しパワーをいただきたいと、ネット検索してみたのです。

 

役に立ちそうで、あんまり心に響かない様々な記事を読んでいると、あるブログにこのようなことが書いてあったのです。

 

「許せないと思っている人を許すと、その相手は不幸になる」

 

これはつまり、許すことで相手への怒りや憎しみを手放すと、その相手に不幸がはね返っていくというような、ある種の呪い返しみたいなことになるということのようでした。

わたしはこの言葉にはげしく衝撃をうけたのです。

 

「憎い相手が許すことで不幸になる」

 

さっそくわたしの中の悪魔が、頭のなかでささやきます。

「(*´`ω´)/ さあ、早くA子を許せ。あの女に不幸になってほしいだろう?」

 

わたしは泣きそうになりながら少し考えてみました。

わたしの幸せは、A子が不幸になることで得られるものなのかと。

 

否(いな)!

断固として否(いな)!である。

 

わたしは自分が幸せになれればそれでいいのである。

A子が不幸になったからといって、わたしが幸せになれるわけではないのだ。

わたしは仏道をとおして幸せを追及する。

A子は彼女の人生で自分なりの幸せを追求すればよいのだ。

わたしはわたしが幸せなら、A子が幸せでも全然かまわない。

 

人が不幸になるのを見て溜飲(りゅういん)をさげたり、人の不幸を喜んだりするほど、わたしの心は落ちぶれちゃおらんです。

そういう意味ではわたしのプライドはエベレストより高いのです。

Simon SteinbergerによるPixabayからの画像

 

「わたしの幸せのオプションに、どんなに憎い相手でも、その人が不幸になることなんぞ入ってはおらんわ!!

わたしはどんなに相手が憎くても許した以上は相手の幸せを祈る!

それがどんなに難しくあっても、それがわたしの生きる道だからだ!」

 

そう自分に啖呵をきって、その後は怒りがわきあがる度に【心がつらいときの対処法~受け入れて「自由」になる】で紹介したやりかたで心を観察したり、すきま時間に【慈悲の瞑想】をやるようにしたのです。



そしてまた一人去って行った

 

とはいえ、やはりわたしはまだまだ弱いのです。

自分に啖呵をきったものの、ときおりものすごい孤独感にみまわれていました。

 

家族も友人も知人も同僚も、誰もわたしの心の苦しみも葛藤も知らない。

まるで、自分が世界の端っこにいるかのような孤独感にさいなまされていました。

 

そんな感じで孤独感の中でひたすら自分の心を観察して1ヶ月くらいたった7月も終わりのころのことです。

リーダーの『風神』が急きょ退職することになったのです。

 

『風神』に関する記事:

 

これには本当にひっくり返るほどびっくりしました。

あまりに急なことだし、何より理由がよくわからなかったからです。

そして『風神』もA子に加担していた一人でした。

このことについては、長くなるのでまた改めて書こうと思います。

 

そして8月10日に『風神』は退職していき、8月14日に出雲大社へお参りした際、鳥居の前で記念撮影をしたら、竜神さまが記念撮影に参加されていたのでした。

鳥居の上に竜神さまがいらっしゃった

至誠天に通ず

 

龍神さまが写真に写っていることに気づいたのは9月の終わりのころのことなのですが、ただの雲にみえたものが龍の形に焦点が合ったときの衝撃をわたしは一生忘れることはないでしょう。

 

この竜神さまの姿をみたとき、竜神さまが歓迎してくださっているのと同時に、「あなたの進む道は正しい」と励ましてくださっているように感じたのです。

 

この写真を見ながら、誰にも知られることなく、分かってもらえることもなく、認めてもらえることもなく、ひたすら孤独でそれでも自分の心を観察しつづけ、誠実に生きようと努力していれば、それは天に通じるのだと思いました。

 

天は自分の心を向上させるべく努力する人間を決して見捨てはしないのだと。

 

画像をみた友人は「何かいいことあるかもよ」と言いましたが、わたしにとって、こうして竜神さまが写真にうつって励ましてくださっただけで、ものすごくいいことなのです。

 

わたしは今、スマホの待ち受け画面を竜神さまにしています。

この画像をみるたびに、わたしを励ましてくださった竜神さまに感謝し、さらに仏道に精進し、心を向上させていこうと決意をするのです。

 

みなさまが幸せでありますように( ゚▽゚)/

 





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「出雲大社で竜神さまが出迎えてくれたわけ~至誠天に通ず」への2件のフィードバック

  1. こちらのブログでずっと励まされていました。一年近く更新がなかったので、どうされたのだろうと勝手に心配していましたが、再開されて嬉しいです。
    相手を許すと相手が不幸になるって書き方は悪魔的な表現ですね(笑)それで許そうなんて思うのは、その時点で許していないと思います。
    相手への恨みの心から解放される。それは自分にとって大きな幸福だと思います。何となくのイメージですが、自分の魂が一歩上がれば、その恨んでいた方にも魂が一歩上がれるチャンスが来られるのではと最近では思うのです。バトンタッチですかね。皆んな魂の向上のために地球に生まれてきた仲間なのかなって。時に自分も他者の魂を磨く磨き砂になり、他者が磨き砂になって磨いて貰うのかなと。磨かれる時はやっぱり痛みを伴うけれど、綺麗にしてくれる存在に最後は感謝したいなと思う今日この頃です。
    いつもステキな文章を読ませていただきありがとうございますこれからもポンタ丸さんのブログを楽しみにしています。

    1. なごやか様、嬉しいコメントありがとうございます。
      磨き砂ってすてきな表現ですね。
      心を磨かれるときって本当に辛いのですが、人はそういうときがないと、なかなか自分を見直せないですね。
      分かっちゃいるけど、それでも辛いことには変わりません。
      まだまだ修行中なので「ヒーヒー」言ってます(笑)
      けれど、わたしの経験が少しでもみなさまのお役にたっているのなら、これほどうれしいことはありません。
      なかなか更新できないですが、生温かく見守ってくだされば幸いです。
      ありがとうございます。

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