まずは自分の幸せをしっかり祈ってみる~『慈悲の瞑想』の注意点


 

なんでも土台づくりが大切!

 

 

人間関係の改善は『慈悲の瞑想』がおすすめ

 

全国の人間関係に悩んでいらっしゃるみなさま、ご機嫌いかかですか~?

かつて人間関係に悩まされまくり「トホホ状態」に陥っていたポンタ丸で~す( ゚▽゚)/

 

さて、このブログでは以前より『慈悲の瞑想』についていろいろご紹介してまいりました。

この『慈悲の瞑想』というのは、人間関係をよくしていくのに非常に効果を発揮するので、是非ともみなさまには寝る前や、朝起きたときなんかに5分でもいいので実践してみていただきたいのです。

真剣にやればやるほど何かしらの変化を体験できると思います。




ちなみにスマナサーラ長老「変化がないなら真剣にやってないということです」とおっしゃっておられました。

 

ギャフン( ≧Д≦ )!!!

 

まったく「はい、がんばります・・・(^◇^;)」としか言いようがないですね!

みなさま、ご一緒にがんばりましょうね!

 

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確実に幸せの運気が上がる魔法の方法

慈悲の実践(フルバージョン)釈迦牟尼仏陀の世界

 

 

体調不良に悩まされていたわたくし

 

さて、実はわたくし2週間くらいまえから体調を崩しておりました。

背中の肩甲骨のあいだの背骨のある一点だけがものすごく重くて、そのせいで体がだるくてだるくて仕方なかったのです。

 

例えていうなら、『子泣きじじい』が爪先立ちで背骨の一点に降臨した感じです。

 

 

ま、これはあくまで例えですから、くれぐれも「んまあぁ!ポンタ丸さんの背中に『子泣きじじい』が憑りついているんですって!」などと誤解されませんようにお願いしますね(^◇^;)

 

そのような状況のもと、4月の15、16、17日に誓教寺で瞑想ミニ合宿が行われ、わたしも15、16日に参加する予定にしていたのですが、あまりに体がだるくて重いので、瞑想仲間のHさんに相談してみましたところ、思わぬアドバイスをいただけたのです。

 

「F先生のところへ行ってみたら?」

 

実はこのF先生とおっしゃられる方は鍼灸の先生なのですが、大きな瞑想会ではよくお会いしているのです。

ただ、問題は瞑想会というのは基本的に無言が原則になっているため、顔見知りではあっても、ほとんど会話をしたことがなかったのです(^◇^;)

まったくHさんの助言がなければF先生の存在は思い出せないところでした(汗)

 

しかし、やはり行くなら瞑想の先輩がしているところのほうが気ごころもしれて安心なので、Hさんに電話番号を聞いて、次の日に予約をいれて行ってみたのです。

 

ちなみに瞑想会のときには、ものすごく真剣に瞑想に取り組まれているので、なんとなく厳しそうな印象があったのですが、実際に話してみると、とても気さくな会話の上手なジェントルマンでございました。

 

日本人は無意識のうちに自分の幸せをないがしろにしている

 

F先生から鍼灸と気功の施術を受けながら、瞑想のことや呼吸のこと、姿勢のことや果ては人生相談などなど、色々お話をしていたときのことです。

わたしがふと『慈悲の瞑想』が難しいとこぼしたところ、F先生が「『わたしは幸せでありますように』のところを一生懸命やってる?」と聞いてきたのです。

 

わたしはそれを聞かれてハッとしたのです。

 

そう言われてみると「生きとし生けるものが幸せでありますように」のフレーズに比べて、自分の幸せへの真剣さが足りなかったように思えたのです。

 

そのことをF先生に告げると「あ~、そりゃ、典型的な日本人だね~」と言われました。

 

そう、われわれ日本人は無意識のうちに自分の幸せをないがしろにしているのです。

「自分が幸せでありますように」と念じることは、どうでもいい、自分の幸せを願うのは恥ずかしいと思ってしまいがちなのです。

 

しかしどの生命だって「自分が一番大事、自分が一番かわいい」と思っているのです。

にもかかわらず、そういう思考を無意識に拒否してしまう日本人は『偽善的』とまでは言いませんが『ええかっこしい(いい格好をしたがる)』な人種と言えるかもしれません。

もちろんわたくしも『ええかっこしい』でございました( ≧Д≦ )

 

自分よりも他の生命を優先するというのは、とても善いことのように思えますが、まず『自分が一番大事』をいうところをしっかり押さえておかないと、他の生命に対しても『自分と同じくらい大事』という気持ちは出てこないものなのです。

 

だからわたしにとって『慈悲の瞑想』が難しく感じられたのです。

基本の『自分の幸せ』のところをしっかり念じていなかったために、『他の生命の幸せ』を念じるとき、なんとなく上っすべりになっている感じがして、いつも「ちゃんと瞑想できてんのかな~」という気持ちでいたのでした。

 

家を建てるときに、一番重要なのは土台づくりですね。

土台がしっかりしていなければ、どんなに見てくれのいい家を建てても、すぐに倒れてしまうことになります。

参照元:有限会社鳳建築

 

慈悲の瞑想でも「自分の幸せ」をしっかり念じることこそが、土台をしっかりつくることになるのです。

ですから「わたしは幸せでありますように、わたしの悩み苦しみ~、わたしの願い事が~、わたしに悟りの光が~」の部分は何度も何度も繰りかえし念じて、心にしっかりおとしこみましょう。

 

「自分の幸せ」を念じることと「我を張る」ことは違う

 

「自分が一番大事、自分が一番かわいい」と思うのは生命全般が持っている心理である以上、「自分が幸せでありますように」と願うのは当然のことです。

 

いけないのは「自分の思考、言動が一番正しい、周りが間違っている」「自分の思い通りにならないとイライラする」というように我を張ることです。

そして、我を張れば張るほど幸せな状態からどんどん離れていってしまうことになります。

 

まずは、どの生命も「自分が一番大事で、かわいい」、「自分のことを尊重してほしい」と願っていることを理解し、自分の幸せを念じるのと同じくらい、他の生命の幸せも念じてみるのです。

 

そういうふうに、「自分も他の生命も一緒のことを願っている」ということがわかり、自分と同じくらい他の生命の幸せを念じることができるようになると、だんだん「我(エゴ)」を小さくしていくことができるようになります。

 

そして、「我(エゴ)」を小さくしていけばいくほど、どんどん幸せな状態に変わっていきます。

これは法則なのです。

他の生命を大切に思えば、他の生命も自分のことを大切に思ってくれるのです。

 

ですから、慈悲の瞑想というのは、あくまで自分のためにやるのです。

「生きとしいけるものが幸せでありますように」と念じるので、なんとなく他の生命のためにやっているような感じに陥りますが、これは自分の心を変化させるためにやるのであって、他人のためにやるのではないのです。

 

まとめ

 

※慈悲の瞑想のポイント

1.あくまで自分のためにやる

 

2.「自分の幸せ」をしっかり念じて、土台をしっかりつくってから、だんだんと他の生命へ広げていく

 

3.エゴを小さくしていくことで、自分の周りの環境が変わっていく

 

以上を頭の片隅において『慈悲の瞑想』をやってみてください。

 

 

追記

 

しばらくブログの更新をしていなかったのでお知らせできなかったのですが、誓教寺で3月21日、22日にスマナサーラ長老ご指導の瞑想実践会が行われました。

 

そのときに、このブログの広告収入を誓教寺とスマナサーラ長老に1万5千円ほどお布施させていただきました。

※ちなみにここまで貯まるのに4ヶ月くらいかかってます(^◇^;)

「塵も積もれば山となる」をひしひしと実感しております。

 

これも、このブログを読んで下さっている皆様方のおかげです。

お布施によって得られたこの功徳をこのブログを読んでくださっている皆様とすべての生きとし生けるものへ回向(えこう)いたします。

どうぞ、こちらの記事を是非読まれて、みなさまも一緒に喜び、功徳を積まれてくださいませね。

 

みなさまが幸せでありますように( ゚▽゚)/

 









記事一覧はこちら→「心を洗う」


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