キアヌ・リーブスと仏教~カルマの法則を考える


 

キアヌ・リーブスは仏教徒らしい

 

 

いったいどこで仏教と出会ったのか?

 

【業(カルマ)を適切に管理することで人は本当に豊かになれるのか~じゃあ実験してみよう!】でキアヌ・リーブスが前世で善い行いをしたため、今世で整った容姿と名声と富を手に入れたということをチラッと書きました。

そう思うのにはちゃんと理由があるのですが、それについては後程書こうと思います。





ところで、キアヌ・リーブスは仏教徒なんだそうです。

あの欲の無いところはそうかな~とも思いますが、ではキアヌ・リーブスはいったいどこで仏教と出会ったのでしょう。

 

ウィキペディアを読む限り、仏教と出会いそうな環境で育ったわけではなさそうです。

父親は中華系ハワイアン、母親はイングランド人で、父親はキアヌが3歳のときに出ていったそうなので、少なくとも両親から仏教を学んだわけではなく、ある程度大人になってから仏教に出会ったと思われます。

 

自分自身も失読症という障碍を持ち、妹も白血病にかかったということも仏教を学ぶきっかけになったのかもしれません。

 

わたしがキアヌ・リーブスは過去世も仏教徒だったんだろうと思っているのですが、それはこういう風に仏教に触れる機会が少ない環境に育っても、やはり仏教徒になって、しかもきちんと成功しているところなどでそのように感じてしまうのです。

 

映画『リトル・ブッダ』に出演

 

キアヌ・リーブスと仏教との深い因縁を感じさせるのが、この『リトル・ブッダ』という映画への出演です。

ウィキペディア参照→『リトル仏陀』

 

この映画で、キアヌ・リーブスはなんと若き日のお釈迦様を演じているのです(*゚∀゚*)!

私もこの映画を観たことがあるのですが、もうキアヌ・リーブスの美しさ、かっこよさといったら!

 

実際にお釈迦様もものすごいイケメンだったということですので、キアヌ・リーブス演じる若き日のゴータマ・シッタルダ(お釈迦様)は、まさにはまり役だったと言えるでしょう。

 

善い行いをすると死後善いところへ転生する

 

さて、キアヌ・リーブスは前世で善い行いをしたから、今世で今のような成功をおさめていると書きましたが、そう書いたのにはちゃんと理由があります。

 

スマナサーラ長老の著書『Power up Your Life パワー・アップ・ユア・ライフ』という本の中で「中部経典一三五『小業分別経』」というお経が紹介されていますが、そこでお釈迦様が輪廻について説明されています。

 

 

この「中部経典一三五『小業分別経』」というお経では、スバという青年がお釈迦様に質問し、それにお釈迦様が答えるという形式になっています。

 

スバ青年は当時のインドの最高位であるバラモン教でもかなり上の位の生まれだったのですが、極端な身分制度に疑問をもっていたようで、お釈迦様に「なぜ人間には区別があり、平等ではないのか?同じ人間でありながらすごい差があるのはなぜなのか?」と質問します。

 

それに対してお釈迦様はこう答えられています。

(少し長くなります)

 

「若者よ、それはカルマです。生命にとって、私のもの、私の財産、私が相続するものといえば自分のカルマです。カルマが人を生みます。カルマが人の親族です。人はカルマに依存している。カルマによって人は優劣に区別されます。」

 

「若者よ、この世で生まれた男か女が殺生をする。ちょっとしたことで他の生命を殺してしまう。生命に対してなんの優しさも親切さもなく、手が血で汚れている。
そういう人々が亡くなると必ず地獄に堕ちることでしょう。
相手に生きる権利を与えなかったのだから、厳しい苦しみを味わう、極端に苦のみがあるどこかへ生まれ変わります。人間にはなれません。
地獄などに生まれ変わらず人間に生まれ変わったならば、短命で早死にになります。長寿の権利は持ちません。」

 

関連記事:【地獄】を軽く語るのは危険~わたしたちは無知の煩悩で何もわかっちゃいないのだから

 

「その反対に生命に対して優しくて親切で、生命をいじめること、殺すことは決してしない。すべての生命に対して、母のような心を持っている。そうやって他を生かすものは自分も生かされるのです。
他の生きる権利を尊重する人は、自分も尊重されます。その人は死後天界に生まれて幸福になります。
そういう人が天界ではなく人間界に生まれ変わったら長寿になるのです。」

 

「なぜ人は病弱になるのか。他の生命をいじめる、苦しめる、虐待、拷問などをする。殴る、蹴る、ケガをさせたりする。このように殺しはしないが身体に苦しみを与え、苦しめる人が、死後地獄におちて長い間苦しむことになるのです。
人間界に生まれたときは病弱な身体をもって生まれます。一生痛み、苦しみを味わって生きていかなくてはならないのです。」

 

「また、ある人は他の生命をいじめることをしない。武器を持たない、暴力を振るわない。虐待も拷問も、殴る蹴るもしない。みんなに優しいのです。その人は死後天界に生まれ変わって幸福になる。
人間界に生まれ変わったならば、たいへん健康な身体で生れます。」

 

「よく怒って、執念深くて、なかなか心をきれいにしない人がいます。わずかなことを言われても激怒する。恨み憎しみを抱く。その人も死後地獄に堕ちて、極端な苦しみを受けるのです。
もし、人間界に生まれたならば、恰好が悪く、みにくい身体で生れるのです。

執念深い性格の場合は、自分もずっと気分が悪いし、まわりもずっと嫌な気持ちさせるのです。そういう人が地獄を免れて人間に生まれたならば、自分がかつて周りの人に与えた気持ちが身体に現れて、人からうとまれる容姿になります。
そばに来るなと言われ、ずっと嫌な気持ちで生きなければなりません。」

 

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「また、そう簡単には怒らない人もいます。さんざん言われても落ち着いている。微笑みが絶えない。怒っている相手にさえも、嫌な気持ちを与えない。
そのような人は死後天界で幸福になるのです。
人間に生まれ変わるときは、とても美しい身体で、美しい容姿で生れます。」

 

「存在感のない、誰からも無視される、みじめな人がいます。家族の中でさえ、仲間外れにされる人。その人は嫉妬をする性格、ねたむ性格です。
他人の成功、幸福、財産、名誉、賞賛が気にくわない、認めたくない、ケチをつけたくなる、嫉妬する、ねたむ。
死後は地獄で苦しみますが、それを終えて人間に生まれても、誰も相手にしない、みじめな人になるのです。
誰からも無視される、存在感のない人になります。」

 

「また、ある人は嫉妬、妬みのない生き方をします。
他人の成功、幸福、財産、名誉、賞賛を心から認める、祝う。
そのような人は長い天界の幸福の旅から、人間界に生まれ変わるのです。
そのときは、とても威力・威厳のある生まれになる。
大人気者になるのです。」

 

「世の中で物惜しみでえ病んでいる人がいます。沙門・バラモン(出家修行者)に衣食住の布施をしない。貧しい人に、必要とする人になにもあげない。
このような性格を変えないでそのまま死ぬ人も地獄に堕ちて苦しむのです。
人間界に生まれても、貧困の旗を上げて生まれるのです。
収入を得る努力をしても、財産はおびえて逃げてしまう。
貧困に生まれる理由は物惜しみなのです。」

 

「自分の幸福、豊かさ、財産などを一人で楽しむのはもったいないと思っている人がいます。
その人は沙門・バラモンに衣食住の布施をする。必要な人に、持っていない人に差し上げる。
みんなでわかち合って幸福を楽しむ。
この人は死後天界に生まれ変わります。
人間界に生まれたときは大富豪で生れるのです。」

 

これらのことを読むと、キアヌ・リーブスは前世でもとてもいい人だったから、今世でも容姿がよく、成功して、お金持ちということがわかりますね。

そして、今世でも物惜しみせずに色んなところに多額の寄付をしておられるようですので、来世でもきっと善い生まれになられることでしょう。

 

ハリウッドで大成功をおさめているにもかかわらず、身なりにも無頓着で、贅沢に対する執着がなく、移動も地下鉄を利用し、庶民的な生き方を崩さないというのは、仏教が生き方の根底にあるからだろうと思われます。

 

「金銭は私にとってもっとも気にしないものだ」byキアヌ・リーブス

ハ~ァ、そんなかっこいいこと、わたしも一度でいいから言ってみたい( ノД`)

 

悪い生まれは自業自得なのか?

 

さて、お釈迦様が言われたように、前世で怒り、嫉妬、憎しみ、物惜しみの心で生きると、今世でさげすまれたり、無視されたり、体が弱かったり、貧しかったりするそうです。

しかし、だからといって私たちが、そういう人たちに「自業自得だから仕方ない」と言うこともまた間違っていると思います。

 

何故かというと、わたしたちはみんな【無知】の煩悩のために「正しい生き方」がまったく分かっていないのです。

それで、間違った生き方をしてしまうのです。

 

「自分は正しい」と思いながら過ちを犯すのです。

つまらないことに怒ったり、恨んだりしてしまうのです。

 

そういう風に『真理を知らないで生きる』ということは大変危険な生き方なのです。

そして、来世でどのような報いを受けるかは誰にもわからないのです。

自分だって、来世にそのような環境に生まれないとは言い切れません。

 

「私たちは誰でも間違った生き方をしている」

 

そのことをよくよく頭に入れて、差別の心が生じないよう気をつけましょう。

でないと、それで悪業(あくごう)を溜めていって、来世で受け取ることになりかねません。

 

結局、善い生まれでも、悪い生まれでも「心を正しくコントロールし、よい心で生きる」ということが正しい生き方であり、善い業を溜めることができ、善い結果を受けとることができる唯一の方法なのです。



 

 

誰でも試練の時はやってくる

 

キアヌ・リーブスのように容姿にすぐれ、成功し、財産にもめぐまれ、名誉を得てもなお試練の時というのは訪れます。

 

かなり複雑な家庭環境で育ったようですし、その後もいろいろ試練の時があったようです。

 

本人が言っていますが「鬱(うつ)」だった時もあったようです。

 

そのように生きるというのは苦しみの連続なのです。

恵まれた環境でも、厳しい環境でも、生きるということは試練の連続なのです。

それをいかに乗り越えていくかが大切なのです。

 

キアヌ・リーブスはそれがちゃんとわかっているのです。

それが今の生き方に現れているのでしょう。

 

「死」を受け入れる

 

最後に「あ~、やっぱりこの人、仏教徒だわ~( ゚д゚)」と思ったキアヌ・リーブスの言葉をご紹介しましょう。

 

「あなたの自宅がどれだけ大きくても、乗っている車がどれだけ見栄えがよくても、銀行口座の残高がどれだけ大きくても関係ありません。

私たちの墓の大きさは同じです。謙虚に生き続けましょう。」

 

これはお釈迦様の言葉である「すべてを捨てて逝くのだ」に通じるものがあります。

 

死ぬときにわたしたちは何一つ持っていくことはできません。

家族も財産も名誉も持ってはいけないのです

ですから、死ぬときはすべてを捨てて逝かなくてはならないのです。

 

富や名声に執着しても無駄ということをキアヌ・リーブスはよく解っていらっしゃるのですね。

やっぱ、すげー漢だぜ(((゚Д゚))) キアヌ・リーブスは!

 

みなさまが幸せでありますように( ゚▽゚)/







記事一覧はこちら→「心を洗う」


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