嫌われる勇気は時に必要
生きていれば嫌われることもある
私は読んでいないのですがここ数年「嫌われる勇気」という本がベストセラーなんだそうですね。
しかし私はこの本の元になっている【アルフレッド・アドラー】という方も全く知らないし、本にどのようなことが書かれているかもよくわからないのですが、「嫌われる勇気」という言葉を見たとき「なるほどな~」と納得したので、今回は「嫌われる勇気」について書こうと思います。
さてさて、生きていくうえで周りから好かれたほうが絶対的に楽ですよね?
ところが、そうそう上手くいかないのが人生というもんです。
例えば仕事をする上での上司との関係。
どうも上司とうまくいかない、しかし好かれたい、認められたいと思うなら堂々と「上司にこびればいい」のだとスマナサーラ長老は本に書いておられます。
(ちなみにこの本はとてもおすすめです)↓
しかし、当の上司がこびるに値する人ならともかく、人間としても上司としても問題がある場合は「あんな上司にこびるなんてとんでもない!」という感情がわいてきます。
はい、そうです!私のことです( ゚▽゚)/アハハハハ~
自分の生き方、考え方に「これだけは譲れない」という何かがあるとき、人は相手とぶつかるときがあります。
ここで誤解してほしくないのですが、これは「私が正しいんだから、私の思ったとおりにする」というわがままな思考で行動していいということではないということです。
本当に正しい思考をする、正しい行動をするというのは悟らない限りは無理です。
しかし悟っていないわたしたちは自分のもつ価値判断で、今の状況を生きていくしかありません。
「自分の生き方、考え方、価値観が100%正しいわけではないけれど、相手の生き方、考え方、価値観も100%正しいわけではない」ということを理解したうえで、それでも「この生き方・考え方は譲れない」のであれば、人とぶつかることもあるということです。
自分の生き方や考え方が100%正しいわけではないということを理解したうえで、さらには上司におもねったほうが楽だということもよく理解したうえで、それでもそれができないのであれば嫌われても仕方ないと肚をくくるしかありません。
「嫌われる勇気」とはそういうものだと思います。
嫌われることで見えてくるものもある
しかし嫌われるということは悪いことばかりではありません。
確かに仕事をしていくうえで上司に嫌われたらいろいろな弊害がでてきます。
一言でいえば「逆境」に突入してしまうのです。
しかしその逆境を乗り越えようと努力し、自分自自身と向き合ったとき「本当に自分のやりたかったこと」がみえてきます。
自分の性格、職場の環境、人間関係、そういう様々な業(カルマ)が絡み合って今の現状がつくられています。
それが自分にとってたとえ好ましくないものでも、それは自分が乗りこえなくてはならない課題なのです。
それを乗りこえていくことで、「本当に正しい生き方」や「本当に自分のやりたかったこと」がわかってくるのです。
だとしたら嫌われることってそんなに悪いことではないということです。
関連記事:
『業(カルマ)に正しくアプローチして理不尽を乗り越える(Part1)』
『業(カルマ)に正しくアプローチして理不尽を乗り越える(Part2)』
相手を憎んでも逆境は乗り越えられない
上司から嫌われたからといって、相手を憎んでも事態は解決しません。
むしろ更に悪いほうに進んでいく可能性のほうが大です。
そりゃ、人間ですから不平・不満がでるのは仕方ありませんが、憎むのは間違いです。
上司も人間。
気が合わない人より、気が合う人を重んずるのは当然です。
更には、正しいか正しくないかで判断するのではなく、好き・嫌いで判断する人が非常に多いということもまた理解しておけばいいのです。
さて、私はよく未来の成功した自分を想像しながら
「あの人がいたからこそ、今の自分があるのだな~。あの人がいなかったら今の自分はなかった。」
「ああいう職場環境だったからこそ、今の自分ができたのだな~。あそこで鍛えられなかったら、今の自分はなかった。」
と、いつか思える日がくるように努力しようと常々考えていました。
そしてそれが逆境を乗り越える大きな力になったのです。
憎むよりは、感謝。
厳しい環境で感謝ってなかなか難しいのですが「反面教師」という言葉があるように、自分と合わない人こそ自分を磨き鍛えてくれるもんなんです。
本当に自分にとって鏡のような人に出会えることは稀です。
だったら反面教師から自分を鍛えてもらえばいいのだと割り切ると楽になりますぞ( ゚▽゚)/
(ここはスマナサーラ長老の受け売りです)
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