人生はジレンマに満ちている
前回『ポジティブ思考って信仰みたいなものになっているということ』で書きましたように、みんな「自分の望みが叶って幸せになりたい」と思っているから心をポジティブな状態にしたいんですね。
しかし、ポジティブな心の状態になって自分の望みを叶えるには「自分の望みを叶えたい」という欲の思考を捨てなくてはならないというジレンマにぶちあたるということを書きました。
また『人生を好転させる鍵は自分の弱点であるということについて』では、人生の辛い状況を乗り越えるには【心から感謝】することで可能になるんだけれど、【心からの感謝】ができるようになるには辛い状況を乗り越えないと、そのような心の状態になれないということを書きました。
人生、何かを乗りこえようと思ったら、さまざまなジレンマにぶちあたっちゃうということなんですね。
まあ、他にも色々とジレンマに気づいたことがあるのですが、何しろメモらないものだから、あっという間に忘れてしまうんです(^◇^;)
思い出したらまた書きますね(えへっ)。
さて、何故このようなジレンマが生じるのでしょう?
それは、私たちが「正しい生き方とはどういうものか」ということを理解していないからと仏教では教えます。
簡単にいうと「真理を理解していないから」というこです。
私たちはみんな【アホ】な状態で生まれてくる
お釈迦様は智慧のない人(悟っていない人)のことを『おろか者』と呼ばれました。
これは別に差別して言っておられるわけではなく『悟りに達した聖人』の対義語として、悟っていない一般の人を『おろか者』と名付けられたのです。
ということは人類の99.999%くらいが『おろか者』といっていいんではないかと思います。
私もあなたもみんなそろって『おろか者』なのです。
私たち流の言葉でいうと『アホ(阿保)』ということになります。
私たちは『アホ』な状態生まれてきて、ほとんどのひとが『アホ』な状態で死んでいきます。
それが普通なのです。
『アホ』」な状態というのは「真理を知らない」「正しい生き方がわからない」状態のことです。
わたしたちは『アホ』であるために、正しい生き方がわからず、やみくもに「正しい生き方」を模索して苦しんでいるといっていいでしょう。
ポジティブな心になりたいになれないのは何故?
ポジティブな心というのは一般的に「明るく前向きな」心の状態のことをさしますが、このような心の状態になろうとしても中々心はいうことをきいてくれません。
何故かというと、【心にそれだけの力がないから】です。
【心が汚れているから】と言ってもいいでしょう。
私たちの心は「欲」や「怒り」「無知」という煩悩でおおわれていて、本来の心の力を発揮できずにいるのです。
しかし私たちは生まれたときから煩悩にまみれた「アホ」な状態で生まれてくるため、心が汚れているということさえ自覚できない状態です。
本来のポジティブな心の状態というのは、このような心の汚れがなくなった状態のことをいうのですが、わたしたちはそれが分からないので、欲や怒りにまみれた心の状態で【ポジティブ】になろうとするのでうまくいかないのです。
ポジティブな心になりたかったら、心の掃除をすること
心は「怒り」「欲」「無知」という三大煩悩によって汚れているために、本来の力を発揮できない状態にあります。
「怒り」や「欲」のほうに力を奪われているといってもいいでしょう。
ですから、まずは心をきれいにすることからはじめないと、結局【何をやってもうまくいかない】ということになります。
しかし、ほとんどの人がそういうことをするのを嫌がります。
理由は「面倒くさいから」。
私たちはどうしても「楽して幸せになりたい」「楽して望みを叶えたい」と思ってしまうものなのです。
どうしてそう思ってしまうのかというと「無知」の煩悩せいです。
「無知」の煩悩はわたしたちに「怠けよう」とせっせと働きかけてきます。
わたしたちも「そうだね、怠けよう」とすぐに同意してしまうから、なかなかうまくいかないのですね。
敵は「己の中にあり」なのです。
「部屋が暗かったらカーテンを開けろ、光が入ってくる」という言葉は中村天風先生の言葉ですが、私はこの言葉が好きです。
しかし心にかかるカーテンは、何重にもなっていているし、重いので、光を入れるには努力が必要になってくるのです。
自分の怠けに勝てるか否か?
答えは常に「YES」です!