他人(ひと)よりも、まずは自分を観察してみる


 

他人を観察するのは簡単

 

自分を観察するのは難しい

 

 

よく「人間ウォッチングが趣味です」という人がいます。

 

それ自体はまったく悪いことではないし、色々な人がいますから観察していておもしろいと思います。




 

しかも、人のアラはよく見えるのです。

人のことは客観的にみることができますので、冷静に判断ができるからです。

 

しかし、いざ自分を客観的に観察しようとするとものすごく難しいんです。

 

なぜかというと、心は知らずしらず自分にウソをつくからです。

まったく、油断もすきもあったもんじゃありません(^◇^;)

 

【いい人】を演じていた自分

 

さて、先日、私が自分の心の中にある「ねたみ」の感情を観察していると、かすかに「これは、あんまり観察しなくていい」という意識があることに気づきました。

 

「ん~?」

 

よくよく観察してみると、私は自分の「ねたみの感情」を無いものとしたくて、観察することから意識をはずしたいと思っているのでした。

 

表面では「ねたみ」を観察していましたが、心の奥底では「自分はそんなイヤな性格ではない」と否定して、観察することをいやがっていたのです。

 

「( ゚д゚) おい、おい、それじゃ、自分で【いい人】演じたがっているだけじゃん」

 

思わず、自分にツッコミをいれてしまう私。

 

しかし、私はこの経験から、心は【見たくないものからは逃げようとする】ということを学べたのです。

 

結局、人は自分の見たいものしか見たがらないものなのです。

自分のイヤな部分にはふたをしておきたいのですね( ノД`)

 

自分の心なのに、あるがままに観察することが難しいということが今回の件でよくわかりました。

 

ちなみに、この自分をよく思わせたいというのは【慢】という煩悩のはたらきによるものということです。

 

人は誰でも「いやな奴」と思われるよりは「いい人」と思われたがるものですが、けっこう意識の深い部分で自分をいつわっていたりするもんです。

 

しかし、今までわからなかった自分の心の【ずるい】部分を発見するというのは、その瞬間は少し辛いですけど、反面おもしろかったりします。

 

「( ゚∀゚) わたしってけっこうズルい奴だった~」

 

分かるとスッキリします。

 

だから自分の観察はやめられませんな( ゚▽゚)/








記事一覧はこちら→「心を洗う」


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