振りかえれば不思議体験
もう一人の自分と対話する
11月5日~11日までの7日間、誓教寺主催の瞑想実践会が、山口県岩国市にある由宇青少年自然の家(ふれあいパーク)で開催されました。
そして前回の記事で書きましたように、私は今回の瞑想実践会でかなり集中して瞑想することができました。
理由は大きく分けて二つあると思います。
理由1. 以前から何度か大きな『気づき』を経験したため【無知】の煩悩を少し減らすことができたため。
理由2. 自分の心に素直になることで、瞑想を力まずにすることができるようになったため。
瞑想実践会などの長期間瞑想をする場合、なにが一番つらいのかというと、それは「眠気」。
絶えまない眠気におそわれながら瞑想するというのは、ある種拷問に近いものがあります。
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そういう拷問状態から抜け出せたとき、人はめちゃめちゃ熱心に瞑想にとりくみます。
なにしろいつまた眠気が襲ってくるかわからないのです。
眠くないうちに集中して瞑想したいと思って当り前です。
【鬼のいぬ間の洗濯】ならぬ【眠気のない間の瞑想】といった感じでせっせっせっせと瞑想にとりくんだわたくしだったのでございます。
歩く瞑想をしているとき「壁に穴を開ける気か?」というくらい目が真剣になり集中しているのが自分でもわかりました。
しかし、前回の記事で書きましたように根が『お怠け者様』なもので、しばらくすると「疲れた~、コーヒー飲みながら休みたいよぉ」となってしまうのは仕方のないことでございましょう。
そういうとき、脳内にもう一人のわたくしが登場いたします。
「わたし」と「ポンタ丸」の二人が会話を始めるのでした。
わたし(-ω-`*) もう疲れた~。座ってコーヒー飲みたいわ~。
ポンタ丸(o゚▽゚)o そりゃ、あんた、そもそもが【お怠け者様】やからな~、仕方ないわな。
わたし(-ω-`*) せやな。【お怠け者様】やから仕方ないわな~。
ポンタ丸(o゚▽゚)o せや。【お怠け者様】やからな、休め、休め。
わたし(-ω-`*) でも、今休んだらこのままずっと【お怠け者様】やんな?
ポンタ丸(o゚▽゚)o せやな。ずっと【お怠け者様】から抜けだせんな。
わたし(-ω-`*) やっぱりもうちょっと頑張ったほうがええんちゃうやろか?
ポンタ丸(o゚▽゚)o せやな。もうちょっと頑張ったほうがええやろな。
わたし(-ω-`*) じゃあ、もう少し頑張ってみるわ。
ポンタ丸(o゚▽゚)o せや、せや。その調子や~。頑張るんや~。
まさか周りの人たちも、超真剣な目で『歩く瞑想』をしていたわたくしが、ときおり【なんちゃって関西弁】で脳内会話を繰りひろげていたとは夢にも思わなかったに違いありません(そして今バラす)。
少し気になっていた長老の一言
話しはかわって、11月5日に初心者指導に先立ち、スマナサーラ長老から参加者全員に瞑想をするにあたっての心がまえの法話があったのですが、その際に長老が気になることをおっしゃられたのです。
「あなたたちね、実はわたしがどんなことができるか知ったらびっくりするよ。教えないけどね」
私は、釣り針についた餌にくいつく魚のように、その話にくらいつきました。
気になる。
ひじょーに気になる。
長老はいったいどんな能力をお持ちなのか?
と申しますのも、誓教寺のご住職である藤本慈照先生の本を読んでみますと、仏道実践で瞑想が上達し禅定(サーマディ)に達しますと、その副産物として様々な神通力を使えるようになるということだったからでございます!
ただ、お釈迦様がそのような神通力を人前で使うことを禁止されたので、長老も神通力を人前で見せられることはありませんし、どのような神通力か教えて下さることもありません。
参考文献
【禅定(サーマディ)】
それは瞑想をする者にとってのあこがれの境地。
しかもサマタ瞑想ではなく、ヴィパッサナー瞑想で禅定に達するのはかなりむずかしいとされています。
『ヘッポコ瞑想』と名づけるほど、瞑想がヘタなわたくしにとって『禅定』とは夢のまた夢なのでございました。
唯一の救いは悟りの第一段階である『預流果(よるか)』は禅定の能力が無くてもなれるということです。
というわけでポンタ丸はまずは『預流果(よるか)』をめざし、せっせと瞑想にはげんでいるのでございます。
参考文献
【歩く瞑想】をしているときの不思議な出来事
さて、瞑想実践合宿3日目から眠気にうち勝ち、けっこう集中して瞑想することができるようになったのですが、それとほぼ時期を同じくして不思議な出来事?がありました。
歩く瞑想をしているときのことです。
部屋の端まで歩いて、体の向きを変えようとするとき「右足まわします」「左足まわします」とサティを入れながら体を回転させていくわけですが、そのとき目の端にチラッとオレンジ色をした何かが入る時があったのです。
最初はジャージのラインがオレンジ色をしていた人が部屋にいたので、そんなに不思議にも思わなかったのですが、その人がいなくなった後も何度かチラっチラッとオレンジ色が目にはいってくるのです。
あたりを見渡しても、オレンジ色の服を着ている人はいないし、オレンジ色のものがあるわけでもないのに、なぜかオレンジ色した何かが目の端に入ってくる・・・。
それで直感的に「あ、長老だ!」と思ったのです。
そのときわたしたちは1階で瞑想実践をしていて、長老は4階の自室におられたはずです。
しかし、禅定に達した人は意識くらい簡単に飛ばすことができると誓教寺の坊守であるR子さんから聞いたことがありました。
それで4階におられる長老が意識を飛ばして、1階のみんなの様子を見に来られているんじゃないかと直感的に思ったのでした。
それで私がどうしたかというと、心の中で力いっぱい
「先生、心配しなくて大丈夫です!私がんばってますから!」
と長老に返事をしたのでございました( ゚▽゚)/
それから瞑想中にオレンジ色をした何かをみることは無くなったのですが、いまになって少し心配なことがあります。
もし、本当にあのオレンジ色の影が長老だったとしたら、私の心の中で叫んだ声があまりに大きかったんじゃないかと、それでもう姿を見せられなくなったのではないかということです。
いや~、あのとき本当に心の中で力いっぱい叫んだからな~。
うるさかったかもしれないな~(^◇^;)
ということで長老の隠れた神通力のひとつに『意識を飛ばせる』というのがあるのかもしれません。
どなたか勇気のある方は長老に質問なさってみてください。
え?わたしですか?
ポンタ丸は【お怠け者様】の【ええかっこしい】の【他力本願な臆病者】ですので聞けません(笑)