『無明橋』を渡ってきた~大分県豊後高田市


 

前から一度行ってみたかった

『無明』を破るのが仏教徒の目標

 

みなさま、新年明けましておめでとうございます。

今年もボチボチとブログを更新していくつもりですので、どう期待しないでくださいね。

わたしのボチボチは本当にボチボチです。

 

さて、わたくしポンタ丸はかつてより行ってみたい場所がありました。

それが大分県豊後高田市にある『無明橋』

テレビでもけっこう取り上げられているのでご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

芸人さんが「ギャ~!こわいよ~!」と叫びながら崖を登り、手すりのない丸い橋を((((;゚Д゚))))ガクガクブルブルしながら渡っておられたのが印象的でした。

そのような橋をなぜ私がそんなに渡りたかったかというと、仏教徒にとって『無明』というのは非常に重要なキーワードなんですね。

 

『無明』とはどういう状態かといいますと「真理がわかっていない状態」、「智慧のない状態」のことをいいます。

その『無明』を破り、悟りに達することこそ、仏教徒にとっての最大の目標になるわけですから、もちろん私の最終目標もそこなわけです。

 

というわけで『無明橋』を渡るということは、なんとな~く「無明を破る」という意味に通じる感じがして、一種の願掛けの意味で行ってみたかったのです。

 

それで、去年くらいに会社の同僚を誘い4人で旅行がてら行ってみようということにしていたのですが、Googleの『無明橋』についてのコメントを読んで考えが一変しました。

 

そこには「今までで一番こわかった!」、「登りもこわいが、下りはもっとこわい」、「どうしても登りたいなら自己責任で」というようなコメントがずらずらと書きつらねてあったからです。

 

「(゚Д゚;) なんと!そんなに危険なところだったとは!」

 

そのようなところに観光がてら会社の人間を無責任に連れて行って、もし落ちでもしたら責任がとれないので、結局私一人でいくことにしたのでした。




 

まずは練習

 

とはいえ、そのような危険なところに一人で行って、もし万が一のことがあったらいけないので『無明橋』に行く前に、練習のため家から車で1時間半くらいのところにある『莇ヶ岳(あざみがたけ)』という山に行くことにしたのでした。

  

この『莇ヶ岳』という山は頂上近くに鎖で岩場を登るコースが3か所あり、まずはそこを登って練習することにしたのです。

 

小学生のころ父に連れられて一度その岩場を登ったことがあるのですが、あまりの怖さに妹と泣きながら登った記憶があります。

とはいえ、小学生のころの記憶だからとなめてかかっていたのですが、現実はそう甘くはなかった!

 

山道を登り、「二の鎖、三の鎖、山頂へ」と書いてある標識を右に曲がるとすぐに「二の鎖」に着いたのですが、とっかりがもうどうやって登ったらいいのかわからないほどの絶壁。

https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-243327.html 二の鎖

 

速攻あきらめて「三の鎖」に移動。

まあこれなら登れそうかと思い、鎖をつたいながら登ってみました。

三の鎖

 

足場を慎重に確認しながら登りつつ「これくらいならいける」と思っていたのですが甘かった!

実はこの「三の鎖」は二段階になっていて、中間地点からいきなり絶壁になるのです!

中間地点に着いたとき、あまりの衝撃に画像を撮るのも忘れたのですが、もうどこに足をかけたいいのかわからないレベルの絶壁。

おまけに朝露が乾いてなくて滑る滑る。

なにをどうやっても登れる気がしない。

 

そりゃ、小学生のわたし泣くわ( ノД`)

 

小学生のころは体も軽くて、鉄棒や登り棒などをしていたのでそれなりに腕力もあったし、父もまだ30代だったのでなんとかなったのでしょう。

 

助かったのは現在はエスケープルートが作られていたので、そちらを通ってなんとか頂上まで行けましたが、昭和のころはそんなものはなかったので、みんななんとかして登っていたのでしょうね。

 

昭和の人間やっぱりすげ~(;^ω^)

 

あのころはみんな根性でなんとかなると思っていた時代ですからね~。

父もよくあんなところを登らせようと思ったなと改めて思いますよ。

しかも娘を。

昭和、それはスパルタ教育がまだまだ根強かった時代でございました。

 

頂上につくと60代くらいの男性がおられたので少しお話をしたのですが、その方曰く「無明橋は大したことない」ということだったので、それならなんとかなるなという手ごたえを感じて下山したのでした。



『無明橋』へレッツゴー

 

そして先日とうとう念願の『無明橋』へ行ってきたのでございます!

 

高速道路を降りて、まずは『宇佐神宮』へお参り。

道中の安全と神様の幸福をお祈りしてきました。

宇佐神宮上宮

 

そこから車で30分くらいで天念寺の『無明橋』のふもとに到着。


結道は急だったのですが、そんなに高い山でもないので30分程度で到着。

最後に鎖で登る崖(?)があったのですが、足をかけるところがあったので、なんなく登頂。

 

正直、こんなんでびびってたら『莇ヶ岳』の鎖場だったらギャン泣きレベルですよ。

とはいえ、本当に亡くなった方もおられるようです。

どんなところでもなめてかかったらいけませんね。

人というのはけっこう簡単に死んでしまうということを改めて思い知らされます。

 

下りは違うルートから鎖をつたって降りたのですが、足をかけるところがあったので、これまたなんなく下山。

ここを降りてきた

 

下山した時点でまだ12時くらいだったので、車で20分くらい離れたところにある中山仙境の『無明橋』にも行ってきました。

中山仙境の無明橋

 

こちらはコースを修験道のコースにしたため、あまり道がよくなくて道に迷ってしまい、道なき道を登るはめになって、着くまで少々苦労しました。

なまじ体力があると、少々危険でも道なき道を突き進んでいってしまうので、そこは反省すべきところではあります。

 

さて、ウィキペディア(Wikipedia)によると『修験道(しゅげんどう)は、山へ籠もって厳しい修行を行うことにより、悟りを得ることを目的とする日本古来の山岳信仰が仏教に取り入れられた日本独特の宗教である』とのことなのですが、こんなんやって悟れるわけないやろというのが正直なところです。

 

山を登ったり崖を登ったりして悟れるんだったら、登山する人やボルタリングをする人やトレイルランニングする人なんかはみんな悟れることになってしまいます。

日ごろから瞑想実践しているわたしなんかとっくに悟れているはずです。

でもまったく悟れてません。

 

お釈迦様は「苦行では悟れません」とはっきりおっしゃっています。

そして今回修験道の山を登ってみて、改めて修行は平地で行うほうがよいということをしみじみ感じたのでございました。

 

とはいえ、念願の『無明橋』に登ってこれたので良しとします。

 

みなさまが幸せでありますように(*゚▽゚)ノ









 

 


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