ポジティブ思考って信仰みたいなものになっているということ


ポジティブ思考信仰

 

私たちのいう「ポジティブ」は【欲】の思考

 

『私たちはどう生きるべきなのか~ポジティブ思考でなくても大丈夫』で書きましたがポジティブというのは「欲と自我で現れる妄想」ということという説明がありました。

 

ところで私たちが一般的にいう「ポジティブ」な心の状態というのは「前向きで明るい」という状態のことをさします。
「前向きで明るい」心の状態というのは別に悪いことではないですよね?
とてもいい心の状態に思えます。



 

しかし、問題はその思考の裏にある【執着】なのです。

 

そもそもみんなが口をそろえて「ポジティブ」というのは、生きるのが苦しいからです。

 

だから心が「ポジティブ」な状態であれば、きっと今の生きる苦しみから逃れられて、自分の望みがかなって楽になると違いないと信じているんじゃないかと思います。

そううまくいけばいいですが、大半の人がうまくいかないと思います。

 

何故かというとポジティブであろうとする心の裏に「自分の望みが叶って幸せになりたい」という欲の思考があるからです。

 

この欲の思考が【執着】となり、心にべったりと貼りついているのが大半の人の状態なんだろうと思います。

 

しかし「自分の望みが叶って幸せになりたい」というのは裏返せば「望みが叶わなかったら不幸」ということになります。
これは怒りの思考です。

 

ということは私たちはどう転んでも「欲」と「怒り」の思考でしか行動できないということになります。

 

「じゃあ、何やっても無駄じゃん」ということになりますが、そうやって人生をあきらめてしまうと、これもまた思い切り不幸になってしまうんですね~。

「人生投げたらあかん」です。




じゃあどうしろっっていうんだ?

 

私が思うのに「ポジティブ思考でいると物事がうまくいく」というのは信仰になっているということです。

ほぼ盲信状態といっていいくらいです。

 

「ポジティブ思考こそ自分を幸せにしてくれる思考法だ」と信じて、みんなせっせとポジティブであろうと頑張っています。

 

しかし仏教では「怒り」や「欲」の思考で行動しても絶対に上手くいかないと教えます。

私も自分の経験を踏まえたうえで「そうだな」と思います。

 

まずは私たちが「ポジティブ思考」と信じているのは「欲」の思考ということを十分理解することが必要です。

 

おそらくポジティブな心の状態というのは私たちが考えるよりかなり高い精神状態のことなのです。

 

「わ~い、わ~い、明るい心、明るい心」というような無理やり作りだすものではなく、いいことが起きても、悪いことが起きても動じない、そういう冷静で強い心の状態と、加えて明るい前向きな心の状態であるのが「ポジティブ」な心の状態であるということなんだろうと思います。

 

では、どのようにしたらそのような心の状態になれるのかというと、仏教では「怒り」や「欲」の思考をやめて、執着を捨てなさいと教えています。

 

しかし、ここにジレンマが生じるのです。

 

みんな「自分の望みが叶ってほしい」からポジティブな心になろうと頑張っているのに、本当にポジティブな心の状態になるには、そのような思考を捨てなくてはならないというジレンマです。

 

自分の望みを叶えるには、自分の望みを捨てなくてはならないという矛盾。

 

これをどうクリアしていくかが、人生を成功させるかどうかの鍵となるのですが、これがなかなか難しいんです。

人生というゲームをクリアするのは一筋縄じゃいきません。

次回に続きます。

ポジティブ思考になりたいなら心の掃除が必要



記事一覧はこちら→「心を洗う」


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