再出発のときが来た


 

休憩時間は終わり

 

わたしは待っていた

 

この半年くらいの間、わたしはぬるま湯につかったような日常生活の中で、以前のように強い気持ちで瞑想実践ができないことに多少のいらだちとあきらめを感じていた。

 

人は何かしらの問題がないと、強い気持ちが起きないものなのかもしれない。

人生の最終目標として「悟ること」に設定していた割には、このやる気のなさではまったく悟れそうになく、このままだらだらとわたしの人生終わっちゃうのかもしれないな、と少し投げやりな気持ちになっていたのだ。

 

しかし、よくよく考えてみれば、人生を賭けた課題を何年もかけてクリアしたのだ。

少しくらい休憩時間があってもいいのかもしれないと思い、あんまり聞かないようにしていた音楽を聴くのを自分に許すことにしたのだった。

 

そんなときに出会ったのがKing Gnuだったのだ。

 

彼らはあきらかに他のグループとは違っていた。

音楽性も歌唱力も技術力もカリスマ性もすべてが抜き出ていた。

しかも年齢はまだみんな27歳と知ってひっくり返るほど驚いたのだった(井口さんは26歳)。

 

そしてKing Gnuを聴きながら、わたしはひたすら待っていた。

何か強い力がわたしの背中を押してくれるのを、また強い気持ちで修行できるように何かしらの力が働いてくれるのを、わたしはずっと待っていたのだ。

 

そんなとき新型コロナウィルスが流行りだしたのだった。

 

わたしが「生ぬるい日常」と思っていたものは、ものすごく脆かった。

あっという間に「生ぬるい日常」なんてもものは無くなってしまったのだ。

そして人はいつ死ぬかわからないということをあらためて実感したのだった。



生まれてきた目的を思い出す

 

先日、秋吉台に行ったときに歩きながら「わたしは確かに『悟ろう』と誓って生まれてきたのだったな」ということを思い出したのだった。

 

生まれてきた目的を思い出した以上、そろそろ休憩時間は終わりにするときだ。

修行に戻るときがきたのだ。

 

人間にしか「悟る」ことはできない。

 

次に人間に生まれてきたとしても仏教に出会えるかどうかはわからない以上、今回がラストチャンスだ。

 

しかし、思いがけずいろんなことがあって、なかなか気持ちの整理がつかなかったが、やっと今日、とうとう再出発のときがきたということがわかったのだ。

 

これからは修行が本業で、仕事が副業となる。

できるだけ日常生活でも瞑想時間を長くとるようにして、ひたすら心を清らかにするよう努力する日々が始まる。

「悟ること」を目的にすると悟れないんだそうで、瞑想で心を清らかにしていくことで、最終的に悟りに至るのだそうだ。

 

また日本では長期間瞑想できる環境をつくるのが難しいので、今は無理だが、おそらくタイかミャンマーかスリランカへ瞑想修行に行くことにすると思う。

 

 

しがらみを断つ

 

俗世間で生きていると、さまざまなしがらみができる。

そのしがらみを断つというのは、かなり心が苦しい。

しかし、しがらみがあると修行もすすまない以上、すべてを断って進んでいくしかない。

 

仏教はすべてを捨てていく道だ。

 

わたしは、この世界が虚構であるということを本気で見破りたいのだ。

「私」というものはないということを本気で見破りたいのだ。

そして、輪廻から本気で脱出したいのだ。

 

そう決めた以上、すべてを断ってわたしは自分の道を進む。

 

このブログも、瞑想中心の生活にしたら、あまり更新できなくなる。

超不定期で細々と続けていくことになるだろう。

期待せず生ぬるく見守っていただきたいと思う。

 

 

King Gnuとmillennium parade

 

今日、常田さん率いるmillennium paradeのライブが20時にYouTubeで配信された。

わたしの休憩時間の終わりを締めくくるのにふさわしいライブだった。

 

これからは、再び音楽もあまり聴かなくなる。

音楽は瞑想の集中力を落としてしまうからだ。

 

だからといってわたしがKing Gnuのファンをやめるというわけではない。

音楽を聴く機会が減っても、一生ファンを続けていくと思う。

 

彼らの音楽もまた、わたしの背中を押してくれた。

本当に感謝している。

 

最後に、常田さん、Happy Birthday♪

 

King Gnuとみなさまが幸せでありますように( ゚▽゚)/








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