悟ってから死んで人間に転生したら、前世で悟ったことを覚えているのか?


 

長年の疑問がやっと解決

 

 

悟りには四段階ある

 

 

「悟り」という言葉は聞いたことがあると思います。

しかし「悟り」とはどのような心の状態をいうのかを知っている人は少ないのではないでしょうか?

 

実は「悟り」には四段階あります。

一段階目:預流果(よるか)

 

二段階目:一来果(いちらいか)

 

三段階目:不還果(ふげんか)

 

四段階目:阿羅漢果(あらかんか)

 

の四段階です。




 

 

預流果(よるか)とは

 

第一段階の預流果(よるか)では無知の煩悩のうちの三つが消えるとされています。

 

有身見(うしんけん)・疑(ぎ)・戒禁取(かいごんしゅ)の三つの煩悩だけが消えます。

 

有身見(うしんけん)とは「【私】というものがずーっといる」「【私】という存在がある」という見解です。

要は「私」がいると思っていることです。

 

真理は「無我」なのに、わたしたちは無知の煩悩から真理がわからず「自分(という存在)がいる」・「我がある」と思いこんでいるのです。

 

疑(ぎ)とは「何が真実なのかわからないまま、自分で確かめようともせず、グズグズうじうじして何もできない心の状態のことです。

他にも「思い込み」や「盲信」も疑(ぎ)に分類されます。

 

戒禁取(かいごんしゅ)とは苦行やしきたりやタブーなど、何かの「行」にこだわることです。

迷信やおまじないなども戒禁取(かいごんしゅ)にあてはまりそうです。

 

以上の三つの「無知」の煩悩が消えると預流果(よるか)に悟ったことになります。

読むだけだとなんとなく私たちにもチャレンジすれば届きそうではあります。

 

そしてなんと!この預流果に悟ると人間界に7回・天界に7回転生すれば、涅槃に入り二度と輪廻することはなくなるという特典がついてくるのですよ。

 

「(|| ゚Д゚) 来世は地獄に堕ちるかも」なんて心配は一切しなくてすむようになります。

さあ、みなさまも是非レッツ・チャレンジ( ゚▽゚)/

 

一来果(いちらいか)とは

 

悟るには「苦」=「無常」=「無我」という境地を一瞬でも体験する必要があります。

「あ、そうなんだ!」と腑に落ちる瞬間がある(らしい)のです。

 

ちなみに、お釈迦様の説法を聞いたときに、あまりに集中して聞いていたために、意識することなく瞬間的に【預流果(よるか)】に「悟って」しまった人が続出したそうです。

 

そういうわけで、預流果(よるか)は瞑想で禅定(サマーディ)に入らなくてもなることができますが、一来果(いちらいか)になるともう一度、「苦」=「無常」=「無我」という境地に禅定で達しなくてはならなくなります。

 

 

そしてこれがすご~く難しいらしいのです。

ビギナーズ・ラックという言葉がありますね。

「預流果(よるか)」は超運がよければビギナーズ・ラックでなれないこともないのですが、一来果になると、明確に目標をもって修行することになります。

しかし「一来果になりたい」という【欲】が生じるとダメなんだそうで、これが壁になってなかなか越えることができないらしいのです。

 

一来果(いちらいか)になると、預流果(よるか)よりさらに煩悩が薄くなっているそうです。

 

一来果は人間界への転生が一回で終わり、涅槃に達して輪廻することはなくなります。

 

不還果とは

 

不還果(ふげんか)に至るには、禅定(サマーディ)に熟達する必要があるそうです。

そして、もう一度「苦」=「無常」=「無我」を瞑想によって体感する必要があります。

そこで「怒り」と「欲」の煩悩が消えます。

 

不還果はもう人間界へ転生することはありません。

死後、梵天界へ転生し、そこで長い間過ごしてから涅槃へ入ります。

 

阿羅漢果(あらかんか)とは

 

阿羅漢に悟ると、すべての煩悩が滅します。

心が乱れることはもはやまったくありません。

「悟り」のゴールです。

 

死後、涅槃に入って終了です。

 

以上が「悟り」の簡単な説明ですが、本当に簡単にしか書いていないので、詳しく知りたい方は誓教寺のご住職、藤本慈照先生の書かれた「悟りの四つのステージ」という本を読んでみてください。

「悟り」の各段階についてものすごく詳しく書いてあって、とても勉強になります。

 

預流果と一来果についての長年の疑問

 

さて、私には長年の疑問がありました。

 

それは「預流果(よるか)や一来果(いちらいか)は、人間界に転生したときに自分が前世で悟ったことを覚えているのか?」ということでした。

 

わたしたちは普通、自分が前世で自分が何者だったかなんて忘れています。

これは何故かというと、先述した誓教寺のご住職の藤本慈照先生のお話では、人は受精してから10か月以上母親の胎内にいるし、生まれてくるときも非常に苦しい思いをするために、そこでほぼ忘れてしまうのではないかということでした。

 

しかし、もし前世でせっかく「預流果(よるか)」や「一来果(いちらいか)」に悟ったのに、生まれてくるときにそれを忘れてしまっていたら、なんかもったいない気がしませんか?

 

それで11月の由宇での瞑想実践会の時にスマナサーラ長老に質問してみたのです。

 

スマナサーラ長老に質問すると「預流果・一来果とは心の状態のことなのだ」ということでした。

 

ですから、もし預流果(よるか)に悟って死んだとしても、その心の状態は変わりません。

次に人間界に転生したときも、その心の状態のままで生まれてきます。

 

実際にスマナサーラ長老によると「この人は、おそらく・・・」という人が何人かいたそうです。

 

そのうちの一人はスリランカのスマナサーラ長老と親交のあった長老だそうで、この方は本当にまったく怒らない穏やかな方で、なお且つ話してみると非常に智慧があったそうです。

 

しかし、あまりに穏やかな性格なので、村人からバカにされることも多かったみたいなのですが、いくらバカにされてもやっぱりニコニコと穏やかな態度が崩れることはなかったそうです。

 

怒らず、穏やかで切れ者というとパトレイバーの後藤隊長みたいな方を想像しちゃいますね~。

 

 

ただ、前世で悟ったから人間界に転生したときもまた仏道修行するかというと、どうやらそうでもなさそうです。

預流果(よるか)だと人間界に7回転生がありますから、もしかしたら、そのうちのどれかで仏道修行して更なる高みを目指すことになるのかもしれません。

 

わたしも長年の疑問が解消してすっきりしました。

 

みなさまが幸せでありますように( ゚▽゚)/







記事一覧はこちら→「心を洗う」


スポンサードリンク

コメントを残す

CAPTCHA


このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください