コロナ終息のために世界を思いやりで回すのだ~『宝経』と『慈経』を唱える


 

最強のお経『宝経』

 

マスクひとつをつけるにも慈しみの心で

 

3月の半ばに、わたしがいつもお世話になっている誓教寺で、春の彼岸会(ひがんえ)法要が行われたのですが、スマナサーラ長老が東京からお越しになって法話をしてくださいました。

 

そのときスマナサーラ長老

「コロナにかかるときはかかる。死ぬときは死ぬのです。

ただマスクをひとつつけるときも【自分さえコロナにかからなければよい】というような気持ちでつけるのではなく【自分がコロナを広めることのないように】という慈しみの気持ちでつけるようにしてください。

一人一人が慈しみの気持ちでマスクをつけたり手を洗ったりすることで、コロナは自然と消えていくものなのです。」

と話してくださいました。





 

わたしたちがコロナに対してできることは、あまりにも少ないのです。

コロナは人を選びません。

コロナに対して私たちは無力です。

わたしたちにできることはコロナの感染を広めないように、自分のできることをできる範囲でやるしかないのです。

 

ただ、スマナサーラ長老が言われたように、マスクひとつつけるにしても、他者をおもいやる慈しみの気持ちでやるかどうかで、その結果は大きく違ってくるのだと思います。

 

きっと今、世界はコロナウイルスによって、思いやりの心を試されているのです。

現在、世界各国でマスクが不足し、奪い合いのような状況におちいろうとしています。

 

そんなとき思い出したいのが、相田みつをさんの

「うばいあえば足らぬ、わけ合えばあまる」

という言葉です。

 

この言葉をモットーにみんながわかちあう心を育てていけばきっと世界の状況は大きく変わるはずです。

 

そこでわたくし、この言葉を特に中国の習近平さんとアメリカのトランプさんに謹んで贈呈したいと思います( ゚▽゚)/

 

 

『宝経』Ratana suttam【ラタナ・スッタ】

 

さて、法要が終わって数日たったときのことです。

 

仏教仲間から

「コロナ終息を祈願して『宝経』を各自で唱えませんか」

というお誘いメールがあったのです。

 

『宝経』Ratana suttam【ラタナ・スッタ】とは、お釈迦様の時代にワッジー国のヴェーサリーという都があり、あるとき干ばつが起こったことで人々が飢え、そのうえ伝染病も流行ってしまったので、死体が都中にゴロゴロするような事態におちいり、悪霊が跋扈(ばっこ)するようになってしまったのです。

そこでヴェーサリーの人々はお釈迦様に来ていただいて、この事態をなんとかしていただこうということにしたのです。

そこでお釈迦様がヴェーサリーにおもむかれて「仏法僧の三宝とはどのようなものか」ということを説かれ、祝福されたのです。

それが『宝経』Ratana suttam【ラタナ・スッタ】です。

 

アーナンダ尊者というお釈迦様の弟子が、慈悲の心で『宝経』を唱えながら都中を回ると、災いが去っていったという伝承があり、それ以来『宝経』は病気の治療・回復、悪霊退散などを期待して唱えられる祝福経典となったのです。

 

 

お経は「呪文」ではない

 

ただ、注意したいのはお経は「呪文」ではないということです。

言葉の魔力によって、病気が治ったり回復するというものではないのです。

やみくもに唱えても意味がありません。

 

この『宝経』という経典は「幸福になりたければ、この経典を理解しなさい」という教えです。

仏法僧がこの世におけるもっとも優れたものであり、それが真実であり真理であると理解することが大切なのです。

 

そして唱えるときには仏法僧の三宝への帰依の心を改めておこし、生きとし生けるものへの幸せを願うのです。

そうやって慈しみで心を向上させながら唱えることで、真理の言葉に力が宿り、状況を変えていくことができるとされているのです。

 

朝晩二回お経を唱える

 

そこでわたしはコロナ終息を祈願し、朝晩、礼拝文と三帰依を唱えた後に『宝経』を唱えることにしたのです。

 

と、こうやって書くとめちゃめちゃかっこいいのですが、実際は朝はいろいろとやることがあり忙しく、そのせいでついつい早口で唱えてしまい

 

 

夜は夜で、疲れて眠いのでついつい早口で唱えてしまい

 

なにしろ経典がお釈迦様の時代のパーリー語という言語で書かれているので、それを唱えるのは慣れないとなかなか難しいのです。

短いお経は覚えているのですが、この『宝経』はけっこう長いお経で覚えるのを後回しにしてしまったせいで、今、噛み噛みの状態で唱えることになっているのでございます( ノД`)



 

 

世界を思いやりで回すのだ

 

先日、ツイッターでKingGnuの井口さんがものすごいツイートをされていました。

それがこちらです。

 

 

今現在「いいね」は20万を超え、リツイートも2万を超えています。

それほど読む人の心を変える力をもった言葉だったのですね。

 

わたしにはこの言葉が光を放って輝いているように見えました。

 

自分に悪意を向けてくる人を許すことも幸せを願うことも、なかなかできることではありません。

それは本当に本当に難しいことで、わたしもその難しさがよくわかるのです。

 

でも井口さんはその人たちを許し、幸せを願い、それを言葉にすることで20万人以上の人の心を変え、幸せにしたのです。

それは井口さんの徳の力によるものです。

本当にすごいと思います。

 

さて、井口さんが先週のラジオの最終回で

「この世界は思いやりで回っている」

と言われたようなんですね。

 

けれども実際の世界は欲と怒りと無知の煩悩でまわっていて、だからこそ今の世界はこんなにも混乱しているのですよね。

でも井口さんがその優しい心で本当に世界が思いやりで回ってほしいと願うのなら、わたしは常に井口さんの側(がわ)に立ちます。

 

もしかしたら井口さんのその優しい心でさえ「偽善」だと罵る人も出てくるかもしれません。

けれど、その人たちは20万の人々の心を変える力なんぞ持ってはいないのです。

 

光の前に闇は無力です。

 

だから井口さん、その優しい心をいつまでも手放さないでください。

長い人生で傷つくことも多々あるでしょうけれど、それでもその尊い心を保ってください。

 

その優しい心がきっと井口さんを守ってくれます。

 

20万以上の人たちの心を幸せにしてくださった井口さんに、幸せが桜吹雪のごとく降りそそぎますようにと願っています。

 

 

『慈経』Metta Suttam【メッタ・スッタ】も唱える

 

さて井口さんのツイートをみて奮起したわたしは、この世界が少しでも優しい世界になることを祈願して『慈経』Metta Suttam【メッタ・スッタ】も唱えることにしました。

このお経は字のまま慈しみの心を育てるお経です。

このお経も祝福経典としてタイやスリランカなどでよく唱えられています。

 

しかし『宝経』もけっこう長いのに『慈経』も唱えるとなると、かなり長くなります。

それで、さらに早口で唱えることになってしまい

 

コロナが一日でも早く終息しますように

みなさまが少しでも心穏やかに過ごせますように

生きとし生けるものが幸せでありますように

 









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