何年か前までの私の口癖
「死にたい」は逃避の思考
そう、それは私が仏教を学ぶ前の、自分を観察することなど一瞬たりともしたことがなく、くだらない妄想で頭をいっぱいにしていた頃のこと。
そんな日々の口癖はことあるごとに
「(#゚Д゚) あ~もう生きてるのいやだ、死にたい!」
というものでございました(^◇^;)
そんな口癖で常にネガティブシンキングだったにもかかわらず、ポジティブシンキングとか『引き寄せの法則』とか一生懸命やろうとしていたのですから、いや~【無知】って本当にこわいと申しますか、本当にどうしようもないですね。
「あの頃、私は底なしのアホだった( ノД`)」
としか言いようがございません。
そして過去をふりかえるとき、そんな自分のアホぶりが懐かしく思いおこされます。
「あんなにアホでなかったら、人生もっと楽だった」とも思いますが、それが人生、それが業(カルマ)というものでございます。
仏教を勉強することで、おのれのアホぶりに気づけたのは【至福】といっていいでしょう。
「死にたい」と思うのは【死】を直視していないから
昔のおろかな私に限らず、けっこう人は何か辛いことがあると「死ぬこと」を考えたりするのではないでしょうか?
なぜかというと、それは【生きる辛さ】から逃げたいだけで、【死】を直視していないからです。
「死ぬのが怖い」から、【死】を考えることを拒否しているのです。
自分の【死】をありありと感じてみようとしますと、自分という存在が無くなるという恐怖感やさみしさ、死後どうなるのかわからないという不安感が胸をしめつけます。
そうやって自分の【死】を感じたとき、自分がどれほど【生きたい】と思っているのかがわかります。
自分で思うよりずっ~と強く、わたしたちは【生きること】に執着しているのです。
「死にたい」と思うのは、そういうことを全く観察しないために、「生きること」より「死ぬ」ことのほうが楽に思えるからです。
しかし、死んだら楽になるかどうかなんて、どうしてわかるのでしょうか?
生きている人の中で、死んだことのある人はいません。
※臨死体験もあれは脳が見せる幻覚のようなもので、実際には死後どうなるかなんてわからないのです。
私たちは【死】を直視することもなく、死後のこともろくに考えることもなく、漠然と死んだほうが楽と思い込んでいるだけなのです。
とくに日本人は、死んだら誰でも天国に行くとなんとなく思い込んでいます。
だから、余計に「生きること」より「死ぬ」ことへ逃げてしまうのでしょう。
日本人の自殺率が高いのは、そういう漠然とした死後観のせいもあるように思います。
日本人みんなが自分の【死】を直視するようになれば、自殺者もずっと減るにちがいありません。
怒りの心で死ぬのは危険
わたしたち日本人は特定の宗教観をもたないせいもあるのか、こんにち日本人の倫理観が非常に揺らいでいるように思えます。
何が正しい生き方で、何が間違っているのかわからない。
みんながそうなので、社会もなんか変になっている。
ものすごく生きにくく、息づまるような感じ。
そういう社会を反映して、心の病気がどんどん増えています。
自殺する人も後を絶ちません。
子供も自殺してしまいます。
「死んだほうがまし」ということなんでしょうが、しかし自殺というのは心が非常に悪い状態で死ぬことになります。
仏教では心の状態で死後が決まるとされていますから、心の状態がよくないと、よい世界には行きたくても行けないようです。
やはり、死後天国へ行きたいのなら正しい生き方をして「充実した生」を送ることが必要不可欠になってきます。
そういったことを日本人がもっと理解し実践したら、社会もいい方向へどんどん変わっていくし、子供が自殺するという悲しい状況もなくなると思うのです。
正しい生き方が自分を守る
【正しい生き方】を心がけていると、おのずと心も良い方向へ変わっていきます。
明るいポジティブな心になりたければ、【正しい生き方】を心がけるようにすればいいのです。
そうすれば自然に心が明るくポジティブに変わっていきます。
仏教では、そうやって心を育てていくことをものすごく良いことで徳のあることとしています。
そうやって生きていると、良いカルマが積まれ、悪いカルマも出にくくなるとされています。
正しい生き方こそが、自分を守ることになるのです。
仏教はそういう生き方を教えてくれますよ。
みなさまが幸せでありますように( ゚▽゚)/
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