【愛】って何だ?
前回からの続きです。
村上春樹さんの著書である「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」は人生のSuperMax暗黒時代である『ゴリゴリ期』を脱出するための指南書であり、キーワードに沿ってその脱出ための方法を説明しています。
『ゴリゴリ期』の関連記事:「頑張っても頑張っても報われないと思っているなら~それは人生におけるゴリゴリ期です」
世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド 全2巻 完結セット (新潮文庫)
「村上春樹さんに学ぶ暗闇人生脱出法(Part3) 受け入れる」では
キーワード3:信じること
キーワード4:受け入れること
までをご説明しました。
今回はキーワード5から説明していきます。
キーワード5:愛
【ハードボイルドワンダーランド】の「私」が自分の運命を受け入れた頃【世界の終り】の「僕」は手風琴を手に入れることができました。
その手風琴を弾くによって彼は「愛」を思い出します。
そして、図書館の女の子の心を「古い夢」の中から見つけることができたのです。
ここでの「愛」は個人に対するものではなく世界全体に対する分け隔ての無い愛のことです。
では、その分け隔ての無い「愛」ってどんな心の状態なのよと言われると私もよく解らないんですね。
そもそも「愛」ってなんなんでしょう?
「個人」や「家族」への愛情なら解りますけど、概念としての「愛」となると「?」になってしまうんですね。
以前に【「愛」とはあらゆる感情の総体】という説明を読んだのですが、余計に頭が混乱してしまったのでした。
それに、日本人は日常においてあまり好んで「愛」と言う言葉を使いませんしね~。
「愛」という言葉に多少なりとも小っ恥ずかしさを感じてしまうのは私だけでしょうか?
そこで、ここでは仏教の「慈悲喜捨」の心についてご説明していきます。
慈悲喜捨の心とは
慈(慈しみの心):
みんなの幸せを願う心
悲(哀れみの心):
人の悲しみや苦しみをわかちあう、助けてあげたいと思う心
喜(喜ぶ心):
人の幸福を共に喜ぶ心
捨(平等で冷静な心):
「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がありますが、そのような冷静な心のこと
自分で善悪の判断をせず、平等な心を持つこと
このような心の総体が「愛」という状態なら、私も納得できます。
この心の状態をどんどん育てていくことで『ゴリゴリ期』脱出が可能になるんです。
この「慈悲喜捨」「愛」という心は非常に大切です。
頭では分かっている方は多いでしょうが、実感をともなっている方は、おそらく稀です。
もしこの街がたとえ僕の目から見て不自然で間違っているにせよ、そしてここに住む人々が心を失っているにせよ、それらは決して彼らのせいではないのだ。
僕はあの門番をさえきっと懐かしむことだろう。
彼もやはりこの街の強固な鎖の輪にくみこまれたひとつの断片にすぎないだ。何かが強大な壁を作りあげ、人々はただそこに呑みこまれてしまっただけのことなのだ。
僕はこの街の中のすべての風景と人々を愛することが出来るような気がした。僕はこの街にとどまることはできない。しかし、僕は彼らを愛しているのだ。
このように【世界の終り】の主人公は手風琴を弾きながら、愛を思い出していきます。
ここでの「愛」は上記の「慈悲喜捨」の心のうちの「捨」にあたる部分が一番大きく占めている心の状態であるようです。
私は特に「何かが強大な壁を作りあげ、人々はただそこに呑みこまれてしまっただけのことなのだ。」という部分を改めて読んで泣きそうになってしまいました。
なぜなら私達は誰でもみんな心にエゴという壁を造り、その中に閉じ込められて生きているということが解かってしまったからです。
その壁は原始脳が発する感情によってどんどん強固になっていき、いつしか心は狭い部屋に閉じ込められた状態で自由を奪われ、みんな苦しみながら生きているということが解かってしまったからなのです。
私もそうだったし、そして村上さんもそうだったんだと解かってしまったからです。
「村上春樹さんに学ぶ暗闇人生脱出法(Part5) 勇気」に続きます。