本当はパニック映画は観ないほうがいい
でも観ちゃった( ノД`)
先日、体調を崩して寝込んでしまったときのことです。
実はわたしは日ごろ、ほとんどテレビを観ません。
前に書いたように、音楽もほとんど聴きません。
(そのかわりよいと思った曲を聴くときはかなり集中して聴きます)
こう書くと、何が楽しくて生きてるの?と言われそうですが、まあ、いろいろやることがあって忙しいし、読む本も溜まっているし、瞑想もしなきゃいけないし、とはいいつつネットで色々見たりしたら、あっという間に時間がたってるし・・・(;^ω^)
ていうか、逆にみんなよくテレビ観たり、ゲームしたりする暇あるなあと思います。
わたし、睡眠時間5~6時間くらいなんですけどね~。
そんなわけで、寝込んでいるときに日本テーラワーダ仏教協会のスマナサーラ長老の法話でも聴こうかなとYouTube を開いたらですね、おすすめ動画に津波がザッブーンのパニック映画があったわけなんですよ。
わたし、こういう映画は以前よく観ていたんです。
しかし、スマナサーラ先生が以前「こういうパニック映画は観ないほうがいい」とおっしゃっていたので、教えを守ってずーっと観ないようにしていたのですね。
やはりこういう映画を大勢の人が観て潜在意識に刷り込まれてしまうのは危険なことなんだそうです。
どういう風に危険なのかと申しますと、実は~、そこらへんの詳しいことを忘れちゃった・・・のですけどぉ~(;^ω^)
ただ「あ~、やっぱりよくないんだな~」と思って、そういうパニック映画やホラー映画とかは観ないようにしていたのでした。
ですから、YouTube 動画を貼っておきながらなんなんですが、みなさまも観ないようにしてくださいね(*-ω-*)
しかし、体調が悪いときって、なんでかわからないですけど若干精神的にネガティブにならないですか?
そういうときって、なぜかネガティブな内容の動画を観たくなってしまうもんなんですよ、わたしの場合。
で、いけないと思いつつも、ついポチっと再生ボタンを押してしまったのでした( ノД`)
逃げても無駄なのにみんな逃げる
この津波がザッブ~ンのパニック映画ってけっこう何本も撮られているんですよね。
巨大隕石が海に落ちて、巨大な津波が発生し、世界各地の高層ビルをバタバタとなぎ倒しながら、人々を飲みこんでいくのが王道です。
中には山脈を超えてきた津波の映画もありましたからね~。
もう人類滅亡しかない。
( ゚д゚) みんな、そんなに世界が終わってほしいんか~い
たぶんこういうのが危険なんでしょうね。
映画なんて本当に大勢の人が観るわけですし、しかも映像技術が上がって、もうリアルなんてもんじゃない。
そういう強烈なイメージが人々の潜在意識に植えつけられたら、この世界にどのような影響がでてくるかなんてわかったもんではないのだと思います。
さて、こういう映画では人がバンバンしんでいきます。
波に飲まれたり、建物に押しつぶされたり、地面の割れ目に落ちこんで行ったりと、もうそれは起こりうるであろう様々なシチュエーションでしんでいきます。
しかし、みんなしにたくないから必死に逃げるんです。
高層ビルより高い波が間近にせまって来てるのだから、逃げても無駄なのにです。
なかには死を受けいれて、津波にのみこまれていく人もいますが、そんな人はごく少数。
ほとんどの人が必死に逃げ回って、あっという間に津波にのみこまれていきます。
しかし、たとえ生き残ったとしても、巨大隕石の影響で、地球は極寒状態となり、飢えと寒さとの戦いとなるのです。
そして極寒状態を生き延びても、次は殺人紫外線が容赦なく降りそそぐような世界となります。
生きのびても「助かってよかった」とは言えない状況が延々と続いていくわけです。
このへんになってくると生きててよかったのか、しんだほうがましだったのかわからなくなってきます。
死の直前の心の状態が非常に大切
さて、仏教では「亡くなるときの心の状態で、次に生まれ変わる世界が決まる」とされています(六道輪廻)。
穏やかで幸せな心で亡くなれば、死後もそのような世界に生まれ変わり、亡くなるとき怒り、悲しみ、不安、恐怖の心で逝けば、死後もそのような世界に生まれ変わります。
死後、天界へ生まれ変わるか、地獄へ生まれる変わるかは、死の直前の心の状態で決まるのです。
ですので、死の直前の心構えがひっじょ~うに重要になってくるわけです。
もし高層ビルより高い津波が襲ってきたら、逃げるより少しでも心を穏やかに清らかにすることに専念することが正解なのです。
墜落する飛行機に乗っていたらどうするか?
何年か前に、スマナサーラ長老が「たとえ墜落する飛行機に乗っていても、やることはいろいろとある」ということをお話しされたことがありました。
スマナサーラ先生レベルになると、たとえ飛行機が墜落するとなったとしても「ああ、そうですか」と受け入れて、その状況を楽しむこともできるそうですが、凡夫中の凡夫(ぼんぷ)であるわたしには、そんなことは逆立ちしてもできそうになく、ただスマナサーラ先生のお話を「ほぇ~・・・( ゚д゚)」とマヌケ面して聞いてるだけだったのでした。
そのお話の中で、死が免れない極限状態においてわたしたちができることの一つに先ほども書いたように心をできるだけ穏やかに清らかにすることがあげられました。
「生きとし生けるものが幸せでありますように」とすべての生命に慈しみの気持ちを抱き、繰りかえし念じることで、心を穏やかに清らかにしていくのです。
とはいえ、自分の死が迫っているときに「生きとし生けるもの」に対して、果たして慈しみの念を持てるのかという疑問も湧いてこられる方もおられるでしょう。
しかし、こういう非常時においては「できる・できない」ではなく「やる」しかないのです。
また、高層ビルより高い津波が襲ってくるよりは、自分の乗った飛行機が墜落する可能性のほうがはるかに高いと思われます。
そういう状況になってしまってから慌てるのではなく、日ごろから「慈悲の瞑想」をする習慣を身につけておくと、いざというときに安心です。
また、先生は墜落しそうになっている飛行機に乗り合わせて、恐怖でパニックに陥っている人たちに対して、少しでも心を落ちつけて明るい気持ちで死をむかえることができるようにしてあげることも大切なことだと話されました。
( ゚д゚) ハードル高すぎるわ・・・
スマナサーラ先生は「なんでもいいんです。例えばバンザイしながら、『さあ、みんなでこの世におさらばしましょう』って明るく言ってみるとか」というようなことを言われたのですが、わたくしにはそれで機内の人たちの気持ちが明るくなるとはとても思えず・・・( ノД`)
いえ、スマナサーラ先生はスリランカの方ですから、このような状況化で日本人に受け入れられる適切な言葉をとっさに出せというのがムリというもの。
ですので、僭越(せんえつ)ながら、わたくしも考えさせていただきました。
このような極限下において求められる究極のユーモア。
パニックになって恐怖におののく人たちの心を落ち着けて、少しでも明るい心で死をむかえてもらえる究極の言葉。
何がいいかな~?
チッ、チッ、チッ、チッ、チッ・・・・、出た~(*^^)v
ズバリこれです!
さすが、シェークスピア(*^▽^*)
ユーモア且つ示唆(しさ)に富んだ言葉です。
もし、みなさんが飛行機事故なんかで極限状態におちいったときには、隣の人にこの言葉をぜひ教えてあげてくださいね。
追記
ところがです!
仏教を一緒に学んでいる知り合いに話したところ、この言葉は非常に不評でございました( ノД`)
「そんな非常事態にそんなこと言われても、はあ~?ってなるじゃん」
と言われシュン(´・ω・`)となるわたし。
その人は家族や友人お世話になった人などを思い浮かべながら、感謝の気持ちを伝えたいし、周りにもそういうように勧めたいと言われました。
( ゚д゚) なるほどな~
確かにこちらのほうが現実的ですかね。
みなさまなら周りの人にどのような言葉をかけますか?
みなさまが幸せでありますように( ゚▽゚)/