「私の何が悪いのか?」~痛い目にあったときそれがわかる


痛い目にあわないとわからないことが多い

 

 

久々にスカッとしてしまった出来事

 

実はですね、先日うちの会社の男性が会社からの帰宅途中、スクーターを運転していて車と接触し、鎖骨を折って入院したという話しを同僚から聞いたのです。

 

そして、わたくしとその情報をくれた同僚の反応はというと「自業自得!」と言って溜飲をさげたのでございました。




申し訳ございません(-ω-`*)

わたくし、仏教徒にもかかわらず他人の不幸を少し(かなり?)よろこんでしまいました!

他人の不幸を多少なりとも喜んでしまったことを心から懺悔して、これからまたせっせと心をきれいにしていく努力をしてまいる所存です。

 

がっ!

 

わたくしが「自業自得!」と思ったのにはやはり訳がございまして、この男性、ものすごくスクーターの運転が荒かったのでございます。

 

通勤が同じ方向なものですから、朝晩、けっこう道で一緒になることが多いのですが、なにしろ運転があぶない。

スクーターなのに、平気で時速80㎞くらいだすし、追い越しのしかたも乱暴で、わたしも何度かヒヤッとさせられました。

 

年末にも雨の日にヒヤッとすることがございまして、そのとき腹立ちまぎれに「一度事故って、痛い目にあうがよいわ!」と思ったのでございました。

 

それからほどなくして、その人は本当に事故にあってしまったわけですが、別にわたしが「事故るがよいわ!」と思ったからではなく、乱暴な運転のツケがまわってきたということでしょう(たぶん)(^◇^;)

 

まさしく【自業自得】

 

しかし、命にかかわるほどのケガでなかったということは、この人はかなりついています。

あれほど乱暴な運転を毎日していながら、事故っても軽傷ですんだのは幸運としかいいようがありません。

 

痛い目にあっておのれの愚かさを知る

 

私が思うのに【痛い目にあう】というのは、実際のところ自分を変えてくれる大きなチャンスでもあります。

 

なぜかと申しますと、私たちは『無知の煩悩』にどっぷり浸かって生きているために、どれほど愚かな生き方をしているか全くわかっていないからです。

 

しかし【痛い目】にあったときに、やっと「もしかして今までのおのれの生き方はかなりバカだったのではないか?」と自問自答する機会が与えられるのではないでしょうか?

これは肉体的な「痛み」であっても精神的な「痛み」であっても同じです。

 

【痛い目】にあったということは、何かしら自分の中に反省しなくてはならないことがあるから気づけということなんだと思います。

 

人生、【痛い目】にあったときが勝負のとき

 

事故にあったとき、大病をしたとき、理不尽な目にあったとき、失恋してしまったとき等、人生には【痛い目】にあうことが多々あります。

 

その時こそ自分との勝負のときです。

 

自分を被害者にして、そのままの自分に甘んじるか、今までの自分の生き方をかえりみて、成長の糧とするかは自分次第です。

 

先述の、運転の荒い男性についても、この人が事故の原因を自分にもってくるか、相手のせいにするかで未来は大きく変わることでしょう。

もし、この人が自分の荒い運転を反省することなく、事故の原因を相手のせいにして、ケガが治ったあとも同じような運転を続けるようなら、次はもっとひどい事故になる確率はグ~ンとあがります。

もしかしたら次はないかもしれません。

 

自分をかえりみる機会を与えられたのに、その機会を活かさなければ、更に悪いほうへ向かっていくということを、私は経験上学びました。

 

私は【痛い目】というような【業(カルマ)】は自分にとっての乗りこえるべき「課題」だと思っています。

 

しかし、今回の事故みたいに原因がはっきりしているならともかく、理不尽な目にあったりとか、辛い出来事に遭遇すると、たいていの人は「私の何が悪いのか?」と思ってしまうのではないでしょうか?

 

「私の何が悪いのか?」というのは、結局「自分の愚かさが全然わかっていない」という『無知の煩悩』にどっぷり浸っているということなんですね。

 

この『無知』の煩悩は『怒り』や『欲』の煩悩に比べて、非常にわかりにくいので「わたしの何が悪いのか?」というような目にあわないと「もしかしたら、自分の生き方ってまちがっていたんじゃないか?」と気づくことすらできないのです。

 

そういう意味で「私の何が悪いのか?」というような【痛い目】にあったというのは、自分を成長させる格好の機会であると言えるでしょう。

 

【痛い目】の度合いが大きければ大きいほど、乗り越えなくてはならない課題も大きいため、そのぶん自分を成長させることができます。

 

私自身、過去のじぶんをかえりみたとき、なんと自分本位でわがままで、おこりっぽくて、自己主張の激しい情けない人間だったことよな~と思います。

とはいうものの、今でもまだまだなんですけどね、ほんまに(-ω-`*)

 

【痛い目】にあうというのは、自分を知り自分を向上させる機会を与えてもらったという意味では【ついている】のです。

ただ【ついている】のは確かですが、とても辛いことにかわりはありません(^◇^;)

心の葛藤を乗りこえるのに、非常に時間がかかることもあるでしょう。

 

しかし、その【痛い目】に「自分を成長させてくれたいい経験だった」と感謝できるようになったら、しだいに自分をとりまく状況も徐々に変わっていきます。

 

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人生、「自分との闘い」「感謝」イントになります。

おのれにうち勝ったものが「真の人生の勝者」ちゅーことですね!

 

みなさまが幸せでありますように( ゚▽゚)/









記事一覧はこちら→「心を洗う」

 


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