許すと相手も変わるって本当だった
自分の心の変化は相手も変える
昨年の12月に私は5年以上許せなかった相手を許すことに成功しました。
詳しくは
『許すこと、それは自分との闘い~私とエゴのガチバトル序章編』
から
『ついに許す!: 許すこと、それは自分との闘い~私とエゴのガチバトル』
までをお読みください。
さて【許せなかった相手を許すと、相手も変わる】とよく聞きますよね。
それって本当でした。
相手を許して半年、その後心の葛藤を乗り越えて2か月以上たった近頃になって、相手の態度ががらりと変わったのです。
今までは、ずっと私を避けていたのに、いきなり色々話しかけてくるようになりました。
その唐突な変化はちょっと不気味なくらいでした。
その変化をみて、わたしは純粋に「すごいな~、本当に変わるんだ」と驚きを感じたのでした。
では、うれしいかというと全くそんなことはないんですね。
相手とまた親密な状態に戻りたいとも思いません。
だからといって相手にひどい態度をとる必要もないので、普通に接しています。
ものすごい虚しさに襲われる
ところが相手がいきなり変わったことに対して私のこころは猛烈なむなしさに襲われたのです。
たしかに相手に対する激しい怒りや憎しみは消えました。
しかし怒りや憎しみが消えたら、次は猛烈なむなしさが現れたのです。
私は正しいことをしたはずなのに
私は【許せない人を許す】という正しいことをしたはずなのに、なぜこんなにむなしく感じるのか?
それは自分が損をしているといういう気持ちがあるからです。
いくら相手を許したからといって5年前のあの親密な状態にはもう戻れないのです。
私のこころも変わり、相手のこころも変わり、もう絶対に以前のように親しくはなれない。
しかも、相手は私が許すためにどんなに苦しみ、そして努力してきたかを知らない。
相手は何でかわからないけど、急に私が話しやすくなったと思っているのでしょう。
私をおそれる必要が無くなったので、最近とてもイキイキしているようにみえます。
相手は何の努力をすることもなく、心が軽くなりイキイキしている様子をみて、私はむなしくなってしまったのです。
いくらヴィパッサナーや慈悲の瞑想をしているからといって、人はいきなり聖人にはなれません。
相手がイキイキしているのをみて、うれしく感じられたらいいのでしょうが、私のこころはまだそこまで成長していないのです。
だからむなしさが現れたのです。
自分の努力に対する結果が、相手の得になったことに喜びを感じられないのです。
自分が損をした気持ちになってしまったのです。
心はどんどん変わっていく
さて、心はどんどん変化していくものです。
今、私はむなしさを感じているけれど、それだって常に感じているわけではないし、今後もどんどん変化していくことでしょう。
わたしにできることは、その心の変化を観察しつづけることだけなのです。
怒りを感じたら「怒り」、むなしさを感じたら「むなしさ」というように、淡々と自分の心をひたすら観察するだけ。
心はネガティブなときのほうが観察しやすいのです。
ネガティブな心の状態から逃げようとするのではなく、ただ観察する。
それを淡々と続けていくと、いつの間にか心がまた成長しているもんなんです。
相手に対して、この先どのような感情の変化が現れるかはわたしにもわかりません。
変わったらまたご報告するつもりです。
許したらハッピーエンドではない
ただ、覚えておいてほしいのは【許せない相手を許したら自動的にハッピーエンドになる】わけではないということです。
ハッピーエンドにするかどうかは自分の問題です。
心が成長すればハッピーエンドになるかもしれないし、ならないかもしれません。
結果はどうあれ、まずはその心の状態を受け入れ、そしてまた淡々と心を観察する。
結局、それしかできないのです。
そして、それが正しい方向に進んでいく唯一の道なのです。
みなさまが幸せでありますように。
追記
読みなおしてみるとこのころかなり心が不安定だったようです(笑)
しかし、許したからまた仲良くなるということはありません。
それは生き方が違うので、もう無理なんですね~。
彼女の幸せを祈るくらいで十分かなと思います。
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