執着は捨ててなんぼ :許すこと、それは自分との闘い~私とエゴのガチバトル


仏教の教えでは執着は捨ててなんぼ

 

『良薬は口にも苦いが心にも苦い:許すこと、それは自分との闘い~私とエゴのガチバトル』から続きます。



 

執着とは

 

執着があると物事は絶対にうまく運ばないと前回書きました。

私が思うに執着とは心の働きを邪魔する余計な力のことです。

怒り・嫉妬・憎しみ・不安・恐怖などのネガティブな感情を伴った心の力です。

 

これって自分の生き方に必要ないどころか、まさに「百害あって一利無し」なのですが、心というのはものすごく複雑で、表の顔と裏の顔を持っていたりします。

 

おもての顔は「夢」・「希望」・「目標」という姿をとっていても、うらでは不安・恐怖・怒りがべったりと貼りついていたりするのです。

 

私の場合も、おもては「自分のなりたい姿」であり「目標」であり、「願望」だったわけですが、うらを覗くと「怒り」・「妬み」・「嫉妬」がべったり貼りついていたのでした。

 

執着は捨てるに限る

 

執着を持っていても、人生に害ばかりですから、さっさと捨てるに限ります。

 

ただ、執着というのは読んで字のごとく自分にぴったりくっついている状態ですので、捨てるとき時には、けっこう意志の力がいったりします。

 

また「絶対に許せない人」という存在が現れた原因の一つに、私のように色んな要素がからんで、相手に対する逆の意味での執着心になってしまった場合も多いと思われます。

 

ですので、まず自分の心をよく観察して、捨てるべき執着があればさっさと捨てましょう。

 

その方が、許しやすくなります。

 

私のやった執着の捨て方

 

おもての美しい顔である「人生の目標」・「なりたい姿」・「夢」・「希望」も、うらに執着があれば自分の生き方を邪魔する余計なものに成り果てます。

ですので、私もさっさと捨てることにいたしました。

 

では早速、私がどのように執着を捨てたかを見ていきましょう。

 

私のこころの中のイメージ

 

1.まず、穴を掘ります。

 

2.執着を引きはがします

 

3.穴に入れます

 

4.お別れを言います

 

正直なところ、執着があったからこそここまでがんばれたというところもあるのです。

 

しかし、執着があると何事もうまくいかないのです。

だから気付いたらさっさと捨てるに限るのです。

 

でもやっぱり自分をここまで鍛えてくれた執着には感謝したのでした。

 

執着の反撃

 

しかし、執着だって簡単には捨てられてくれないのです。

捨てられるのをものすごく拒否します。

不安につけ込んでくるのです。

エゴが巧みに執着を捨てさせまいとするのです。

 

「私を捨てたら、もう二度と願いは叶わなくなるわよ」

「私を捨てたことを今に絶対後悔するんだから」

「あなたは夢をあきらめるの?もう逃げないんじゃなかったの?」

 

さまざまなことを言って、執着を捨てさせまいとします。

 

執着はエゴが存在するのに必要なので、巧みに捨てさせまいとするのです。

 




 

「あきらめる」けど「投げ出さない」生き方

 

夢や希望を持つことが大事といわれていますが、そこに執着があると逆に自分を追いつめていることだって多々あるのです。
(そうです、私のことです)

 

だから自分の心をよく観察して、こころの掃除をすることがとても大切です。

 

夢や希望をあきらめたからといって、正しい生き方を投げ出さなかったら、夢や希望が無くても全然大丈夫ということを、この度のことで私は学んだのでした。

 

どうぞ、皆様も執着はさっさと捨ててしまいましょうね。

 

努力が空回りしてしまいますから。

 

『ついに許す!: 許すこと、それは自分との闘い~私とエゴのガチバトル』に続きます








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