許すことは簡単ではないけれど
私の好きな言葉
『ついに許す!: 許すこと、それは自分との闘い~私とエゴのガチバトル』から続きます。
許すということは、簡単ではありません。
しかし、不可能でもないのです。
ちなみにこの「簡単ではないが、不可能ではない」というのも、スマナサーラ長老の本からのパクリです(笑)
本には「悟ることは簡単ではないが不可能ではない」と書いてあります。
私はこの「簡単ではないが不可能ではない」という言葉がすごく好きなんです。
例えば「逆境を乗り越えることは簡単ではないが不可能ではない」とか、「すべてを受け入れるというのは簡単ではないが不可能ではない」とか色々つかえて、しかも「あ~、そうだよな」とすごく納得できるんですね。
そして許すこともまた簡単ではありませんが不可能ではないのです。
では今回、自分が相手をゆるすことにあたって重要と思われることを二点あげておきます。
相手を理解すること
実は、前回の『ついに許す!: 許すこと、それは自分との闘い~私とエゴのガチバトル』では、話が長くなりすぎるので、あえて省いた部分があります。
それは『絶対に許せないと思う人を許すには~まずは結論からいってみよう』でも書いていますが、わたしが相手をゆるすのに「相手のことを心配してあげる」というところまで、心の状態をもっていく努力をずっ~としていたということです。
しかし、これ本当に難しいんです。
じつは私自身も、相手を心配する努力をしながらも、心底相手のことを憎んだりと心が両極端にはたらいてかなり辛かったんです。
それに、これを読んでいるみなさまの中にも、相手のことを心配すると考えただけで胸が悪くなるかたもいらっしゃるでしょうから、一度記事にはしたものの、これはあまりおすすめできないかなと思ったのです。
なので改めて書き直すとしたら「相手のことを理解しようする努力」がいいかと思います。
私も時間はかかったものの、相手の私に対する理不尽な態度や、そうせざるをえなかった心境、相手の心の闇なんかを次第に理解できるようになりました。
自分の愚かさがしだいに解ってくると、相手のこともあるていど理解しやすくなります。
自分もアホなら、相手がアホでも仕方ないという気持ちに一瞬でもなれたらしめたものです。
私は許せた今となっては、許せないと思っていた相手がいなかったら、自分の愚かさがわからないままだったと思いますし、なによりここまで自分が人生に立ち向かう勇気を持てていなかったと思うので、相手の人にはすごくすご~く感謝しています。
もちろん今でも大嫌いですけどね<( ̄^ ̄)>(笑)
執着を捨てること
私が相手を許すことができた最もおおきな理由が、自分の望みや夢の裏側にくっついていた執着を、望みや夢とともに捨て去ったことです。
これを捨てたことで、エゴが怒りの感情のほうへ現れやすくなったので、私自身がもうおのれの怒りに耐え切れなくなり、結果的に許すことに成功したのです。
まったく仏教が「執着を捨てろ」と教えるわけです。
ちなみにエゴというのは自分の中の「悪魔」のぶぶんですね。
おもに感情となってあらわれ、私たちの思考を乗っ取ります。
怒り・欲・恐れ・不安というのは原始脳でつくられますが、「好き」か「きらい」でしか判断できません。
この怒り・欲・恐れ・不安などの感情をフルにつかって私たちをコントロールしようとするのがエゴです。
ですので理性で「許したほうがいい」と判断しても、エゴが猛烈に反対してくるので、なかなか許せないのです。
ですので、エゴに負けない強い心を育てることがとても大切なんですね。
でも、大丈夫!
私たちには合言葉があります!
「許すことは簡単ではないが不可能ではない。」
どうか、これを読まれた皆様が怒りを少しでも早く手放せて、心が安らかになれますようにと願っています。
関連記事:「許す」ことについての私の反省点。是非参考にしてくださいね!